倶楽部メモ(125)
平成14年 2月 8日〜 2月16日


投稿者 菊之介@夜行急行八甲田
投稿日 2月 8日(金)00時50分57秒
タイトル お久し振りです。
本文

御乗車の皆さん、いかがお過ごしでしょうか?

さて、ちょっと客車本来の話題からそれてしまうかもしれませんが、鉄道模型の運転場の広告を
先日発見致しましたので、皆さんにお分かちしたいと思います。

鉄道模型運転場[のぞみ会]
都電の[小台]電停下車。近く。
電話:03ー3893ー4089

模型の世界では、旧型客車もまだまだ現役ですとも!

>103列車機関士 殿
全くお言葉に同感です! 是非[思い出の八甲田]に御一緒にのりましょう。
音を録音するつもりでおります。


投稿者 103列車機関士
投稿日 2月 8日(金)21時53分32秒
タイトル 客車のドアについて
本文 皆様こんにちは!
ふと思い書き込んでみましたが、越後中里に行ってから、
客車のドアがどうしても気になるようになってしまいました。
せめて、これだけでも判らないものでしょうか?
 Hゴム標準、大窓のドアはいつ頃から登場したのでしょう?
 「このドアは00工場の特徴です。」などあったのでしょうか?
 「00客車区には近代化車が少なかった」なんてあったのでしょうか?
KATO、GMの43系、TOMIXのオハ35をそのまま使う場合の
時代設定の参考にしたいのです。
>菊之介様
 楽しみですね、でもわたしは上野から青森まで泣き続けるかも、、、


投稿者 マイフ97−1
投稿日 2月 9日(土)00時11分37秒
タイトル 質問:マロテ49の等級帯の色は
本文

みなさん はじめまして 客車に詳しい皆さんに質問があります。

ある模型メーカーからマイテ49−1キットが発売され その説明書の一部に「格下げ後の
マロテ49には淡緑の等級帯」と有りますが 私の認識不足か 展望者に淡緑6号の等級帯を
巻いた車両は聞いた事が有りません。どなたか ご存知の方 教えて下さい。


投稿者 松ちゃん
投稿日 2月 9日(土)01時16分39秒
タイトル 等級帯のこと
本文

 マイフ97−1様、皆様、こんばんは。

 「マロテ49−1の等級帯」の件ですが、RMM67号にそのものずばりの記事があります。
私はぜんぜん詳しくないので、RMMからの引用と、多少の私見を述べたいと思います。
 〜新1等車(ロ)の帯は、1961年7月29日、「淡緑6号」に変更された。
後に「グリーン帯」と呼ばれることになる色だ〜
 また、根拠法令として、
 〜鉄道公報3557号昭和36年7月29日 総裁達425号〜
 とあります。(RMM67号111・112Pより)
 公報および達が出ているので「淡緑6号の帯」というのは確実だと思います。
よって、1961年以降もマロテ49−1が存在していて、工場に入場していれば、
「淡緑6号」の帯に塗り変わったはずです。
 無学の私に言えるのはこれくらいなので、あとはより詳しい情報をお持ちの方、
フォローをお願いいたします。

 ちなみにRMM66号〜68号に「国鉄一般型客車・塗色と表記の変遷」という連載記事があります。
これは大変面白く、また、役に立ちます。
2001−2・3・4月号ですので、まだどこかにあると思います。
一見の価値ありですので、参考までにどうぞ。
 では、これで失礼いたします。


投稿者 車掌@仙コリ(管理人)
投稿日 2月 9日(土)11時01分50秒
タイトル RE:マロテ49の等級帯の色
本文 マロテ49の等級帯の色についてですが、私も詳しくはわからないのですが(実車は
見ていないので)いろいろな資料によると、松ちゃんさんも書き込まれていると通り
帯色を変更したとされているのですが、手持ちの数少ない写真を見ると、白帯のまま
だったようなのですが・・・
実際に「つばめ」「はと」が電車化され(昭和35年6月1日・この時点では青大将色)
展望車が定期運用を失った1月後(昭和35年7月1日)に2等級制化されている
ので、マロテとしての運用はどの程度あったのか?(事実上はほとんどの車両が休車
状態だったのでは?)
私の考えとしては白帯であった可能性が高いと思うのですが、実際を知っている方が
いらっしゃいましたら、フォローいただけると助かりますのでよろしくお願いします。


投稿者 車掌@仙コリ(管理人)
投稿日 2月 9日(土)17時56分47秒
タイトル RE2:マロテ49の等級帯の色
本文 先ほどの書き込みの補足ですが、白帯と書きましたが、実際にはクリーム色ですね。
ただ、当時のクリーム色がどのような色調であったのか?なのですが、手持ちの写真を
見ると、ほとんど白といった感じです。
参考までに、この掲示板への入り口(10号車内)にマロテ49の写真を掲載しました。
ただし、どちらも廃車後の写真ですので、廃車後に展示用などのために白帯に塗り直した
という可能性もあるのですが・・・。
引き続き詳しい事情をお知りの方の書き込みを期待いたしております。



投稿者 EF6480
投稿日 2月10日(日)21時02分23秒
タイトル はじめまして
本文

 はじめまして。EF6480こと三浦裕士です。

 私は昭和34年生まれなのでいわば旧客世代です。
子供の頃は親に連れられ上野から酒田までよく行ったのですが、乗る列車は旧客はかり。
当時、キハ81の「いなほ」に乗りたいなんて親にせがんだものですが、今では旧客は無くなり、
いやでも新幹線、航空機に乗せられるなんて時代の流れですね。
そんな過去を懐かしみ、今ではNでエッチングキットでの製作や既製品の改造等で
往年の列車の編成を組んで動かしています。
 話題によって、書き込ませていただきたいのでよろしくお願いいたします。

103列車機関士さん、はじめまして。

Hゴム標準の扉ですが新参者の存在ながら答えさせていただきます。
昭和29年頃からの新製や改造のあったのがHゴム標準扉が多いですね。
オハ46、オハフ45(S29〜30製作)やなかにはマロネ29からマロネフ29に改造された際に
Hゴム扉に交換されたのもあります。
 その後、ナハ10、ナハネ10の登場以降は扉の窓は二段式のようですね。

参考資料:客車形式図(S41)


投稿者 クモイ103
投稿日 2月10日(日)22時05分21秒
タイトル マロテ49 1はグリーン帯になったかも
本文  ご乗車の皆さん、車掌@仙コリさん、お久しぶりです。最近ROMモードのクモイ103です。
 マイフ97−1さんご質問のマロテ49 1ですが、淡緑6号の帯になった可能性はあると思います。
 「つばめ」「はと」の電車化後、他の展望車が全て廃車される中、同車はただ1両残されました。
鉄道ジャーナル202号(1983年12月号)P.64によると、「<つばめ><はと>時代は
予備的存在であったが,電車化後もマロテ49 1として外人観光団体用に活躍」とあります。
廃車は昭和39年3月30日付けです。
松ちゃんさんのお話を受けて考えれば、帯色の規程改正から2年半以上経っている事、
またその間、定期運用はないものの、貴賓車扱いでしっかり整備されていた筈なので、
たぶん工場入場もあっただろうという事から、
確証はありませんが、グリーン帯になっていたのでは?と思います。
 交通科学館に展示された兄弟車のマロテ49 2でさえ、展示の当初は、現役車両の規程に従って
グリーン帯だったと伝えられています(鉄道ピクトリアル129号(1962年3月号)P.37)。
ご質問のマロテ49 1も、お役所の国鉄だけに規程は遵守して、グリーン帯になった可能性が
高いのではないでしょうか。
 蛇足ながら、私的には、たとえ実際に規程通りになっていなくとも、
模型は「規程上の正しい塗装」で製作しても良いのではないかと思います。
これは個人的こだわりの問題ですが。


投稿者 マイフ97−1
投稿日 2月12日(火)13時43分26秒
タイトル 皆さん ありがとうございます。
本文 皆さん こんにちわ 突然乱入し お騒がせしております。
色々と説が有るようで 勉強になります。
管理人様 写真ありがとうございます。
仕事が泊勤務の為、コメントが遅れました事をこの場を借りて お詫び致します。


投稿者 車掌@仙コリ(管理人)
投稿日 2月13日(水)20時55分16秒
タイトル RE3:マロテ49の等級帯の色
本文

マロテ49の等級帯の色についてその後も調査していましたが、灯台下暗しで当客車倶楽部
への急行高千穂さんの書き込み(平成12年5月7日・倶楽部メモ45に掲載)において、
>旧マイテ39改めマロテ39が青帯を巻いている写真が雑誌に載っています
とありました。(急行高千穂さん、雑誌名を教えていただけないでしょうか)

この事や皆様のご意見から、マロテ49についても青帯・グリーン帯だった事があるのは
間違いないようです。
以上の事から当時の展望車の色の変遷をまとめると

登場時(戦前)車体→ぶどう色1号 ・ 帯→白
進駐軍接収時 車体色変更?
返還後    車体→ぶどう色1号 ・ 帯→クリーム
昭和31年11月 車体→淡緑5号(青大将色・単色)
昭和35年 6月 (「つばめ」「はと」電車化)
昭和35年 7月 (二等級制化・マイテ→マロテ)
       車体→ぶどう色2号 ・ 帯→青1号
昭和36年 7月 (1等車(新1等車)の帯色変更)
       車体→ぶどう色2号 ・ 帯→淡緑6号
廃車後    保存用・展示用などのため帯色を白に塗り替え(マイテ時代を再現?)
といったところではないかと思います。
問題は各塗り替えの時期と青大将引退?からマロテ格下げまでの1ヶ月間についてですが
「つばめ」「はと」電車化の時点で二等級制化は決まっていたと思われるので、青大将色から
直接青帯になったと思われます。


投稿者 急行高千穂
投稿日 2月14日(木)00時21分26秒
タイトル マロテの青帯
本文 ごぶさたしております。
ご指摘の雑誌は『鉄道ジャーナル76年4月号』で、26ページに展望デッキと、その前の窓1つ半が
写っており、間違いなく青帯と1の数字があります。
(元々青大将になる前は後部には1の等級表示はなかったのでは?)写真は管理者さんに送ります。
写真には、2等級制移行により青帯になったマイテ改めマロテ39のコメントがついており、
車体の標記にもマロテ39の文字が読み取れます。
詳しいことはわかりませんが、時期的なものだけを考えるとその後生き残ったマロテ49に
淡緑帯の時代があったと考えるのが自然だとは思います。
余談ですが、私も模型はやっておりますが、展望車はやっぱり白帯でなくては・・・と思っており、
実物にこだわらずにやっております。
投稿者のホームページ


投稿者 車掌@仙コリ(管理人)
投稿日 2月14日(木)22時12分43秒
タイトル RE:マロテの青帯
本文 急行高千穂様、ありがとうございます。
いただいた写真(著作権の問題で掲載する事は出来ませんが・・)を拝見すると、
確かに青帯ですね。
写真には番号は写っていないのですが、手持ちのマイテ39の写真と見比べると
手すりの形状からマロテ39−11のようですね。
このマロテ39−11と話題のマロテ49−1の2両だけが最終配置区が品川に
なっており、他の展望車より多少なりとも長生きした車両ですので、このマロテ
39−11と同様にマロテ49−1も青帯時代があったと考えられます。
(他の展望車に関しては、宮原配置のままで、特急運用撤退後1年前後で廃車と
なっていますので、交通科学館保存(当時)のマロテ49−2以外は、青大将色
から塗り替えたかどうかは疑問が残ります。)
模型に関して言えば、私も展望車は白帯とするのが無難かと思いますが、他人と
は違ったものにしたい場合はマロテとして青帯・グリーン帯にしても間違いでは
ない事になると思います。
ただし、マロテ時代の運用上、編成を調べるのは非常に困難かと思われるので、
組み合わせる他の客車を選ぶのが非常に難しいものになるのでは・・・


投稿者 103列車機関士
投稿日 2月16日(土)17時19分28秒
タイトル ありがとうございます
本文 EF6480様、ありがとうございます。
出張でお返事遅れましたことおわびいたします。
さて話の腰を折るようで恐縮なのですが、
展望車の話題でふと思いました、マイ38などといった
1等車は東海道でしか使用されなかったのでしょうか?
この客車はつばめ等が電車になってしまったあとは廃車されてしまったのですか?
一等車について興味が湧いてきました、


投稿者 車掌@仙コリ(管理人)
投稿日 2月16日(土)23時35分46秒
タイトル マイ38について
本文 103列車機関士様
マイ38等の一等車についてですが、旧一等車の晩年(昭和30年代)に実在した形式は
マイ38(2両)のほかにスイ99(1両)・マイフ97(1両)がありました。
このうちスイ99については、元特別職用車スヤ39であり、あまり活躍することなく
昭和35年3月に廃車になったようです。
マイ38とマイフ97については旧一等車廃止後も生き残り、マイ38はマロ39
マイフ97はマロフ97となり昭和38年2月に廃車になったようです。
マイフ97については詳しくはわかりませんが、マイ38はご存知のように、「つばめ」
「はと」のほかに臨時「さくら」の臨時増結用として活躍したほかにも特別臨時列車として
活躍したようですが、基本的には東海道本線のみで使用されていたようです。
例外としては東京−尾道間の特別臨時列車に数回使用された事があるようなので、
山陽本線には入線した事があるようです。(マイフ97が一緒だった事もあるようです)
また一説によれば「かもめ」にも使用されたという話もあるので、本当であれば博多まで
行っている事になりますが、こちらについては未確認です。



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