倶楽部メモ(106)
平成13年 9月 2日〜 9月 5日


投稿者 クモイ103
投稿日 9月 2日(日)22時41分09秒
タイトル 「みちのく」の特ロ
本文

103列車機関士さん、こんにちは。

 「ある機関助士」私も持ってます。迫力!の一語につきる名作ですね。

 さて、昭和37年10月の配置表を見ると、青森にオロ61がたくさんいます。
これがスロ54、51を置き換えたのだと思います。
昭和36〜37年頃、オロ61はたいへんな勢いで増備され、大挙して東北支社管内に配属されています。
個々の改造落成日は、今年のRP誌5月号の鋼体化客車特集にありましたので、
置き換えの時期もだいたい見当がつくかも知れません。
 スロ54、51は、37−10改正に伴う転配として、東北支社から各地へ多数の転出が鉄道公報に記載されています。
しかし実際は、オロ61の落成によりどんどん前倒しで捻出されていた可能性があると思います。
 なお、「みちのく」の基本編成は、36−10ダイヤ改正の前後とも盛鉄局持ちです。
但し、改正前は盛岡−青森間が不定期運転なので盛モカ、改正後は全区間定期運転になり盛アオになっています。


投稿者 オロネ10
投稿日 9月 3日(月)13時02分20秒
タイトル ある機関助士、スハニ35
本文 昔は旧客や蒸機が現実に走っていたので、余りビデオや映画には興味を持たなかったのですが、
今となっては、俄然ビデオの価値が出て来ましたね。増してや、103列車機関士さんの様に
ビデオで迫力を見直してくれる人がおられるのであれば、その価値は益々重要です。早速私も
「ある機関助士」探してみます。でも、昔のそう言う「迫力」を見ると、余計イベントSLに
足が向かなくなってしまうので、良し悪しかも・・・。私も現役蒸機(SLと言う言葉はいま
だに使いにくいのです)を知っているので、あの、厳しいダイヤを守る為に、フルに力を出し
切って走る使命感の様なものが、そもそもの迫力に更に力動感を与えていました。大井川鉄道
もとても良いと思うのですが、この辺にやや物足りなさを感じてしまいます。ノンビリ・ムード
だけが旧客や蒸機の良さではないですよね。
処で、前置きが長くなってしまったのですが、一つ古い話の質問があります。父が写した写真、
確か昭和28年位だと思うのですが、上野駅で「あおば」のサボを写しています。車種は「ス
ハニ35」です。これは明確にドア横の文字が写っているので間違いありません。この頃は、
「スハニ35」は当然特急「つばめ」「はと」にも使われていた筈ですが、急行にも既に使わ
れ始めていたんですね。「スハニ35」は特急専用車輌として造られた、と思っていたのです
が、ちょっと違っていたのでしょうか??


投稿者 EF58 29
投稿日 9月 3日(月)16時11分15秒
タイトル 宣伝モード
本文  宣伝モードで申し訳ありません。
 PC初心者の私がようやくホームページを立ち上げましたので、お気軽にお越しください。
 題して「70年代後半の客車列車」の編成記録。
 データ監修に5カ月もかかってしまいました。
投稿者のホームページ


投稿者 クモイ103
投稿日 9月 3日(月)18時01分37秒
タイトル Re:スハニ35
本文  スハニ35は、実ははじめから特急用以外にも新製配置されました。
総勢12両の内、ラスト3両の10〜12が、当時特急とは無縁の仙センにいて、
もっぱら東北筋の急行列車に使用されたようです。
結局この3両は、いわゆるスハ44系の一員でありながら、一度も特急用として
(少なくとも定期では)使われなかった、不運の車両ですね。


投稿者 クモイ103
投稿日 9月 3日(月)18時40分56秒
タイトル Re:宣伝モード
本文  連続投稿すみませんm(_ _)m。
 EF58 29さん、HP拝見しました。
私のところの環境のせいか、読むのに時間がかかってしまいました。
すばらしい企画ですね。こうしたデータを手軽に見られるというのはたいへん有り難く、
感謝感激です。
データ整理はさぞ大変な作業と思いますが、どうか頑張って充実させて下さい。
 ところで、「その他の客車列車」のタイトル写真で、主要被写体もさることながら、
画面の端にさりげなく写っているコキフも懐かしいですね。
余談ですが、拙宅から2kmほどのところに、コキフ(レムフかも)の車掌室だけが
事務室(?)になっています。
以前話題にさせて頂いた石炭ストーブの煙突もついていますが、
旧型食堂車のレンジの煙突と同じものかどうかはよくわかりません。
似ているとは思いますが・・・


投稿者 103列車機関士
投稿日 9月 3日(月)19時22分29秒
タイトル いいですね!
本文 こんにちは!クモイ103様ありがとうございます。36年と37年の違いですね。
交博に36年の配置表がないのは残念です。(たしか無かったですよね?)
あの編成が「ある機関助手」の物では無いと思いますが、特ロはスロ51,54で
行こうとおもいます。C62はビデオでゆっくり研究しませう。
オロネ10様、わたしもビデオ探すの大変でした。あれは本当にカッコよかったです。
おっしゃるとおりなんともいえない迫力と力動感でしたね。わたしの想いでは、EF58
やEF15ですが、蒸気機関車の思い出があったらやはりそればかり製作していたでしょう。
「大人の童話」とはよく言ったものですね。イベントの蒸機もそうですね、言われてみますと
現役の迫力はないと思います。でもなにかおじいさんが一生懸命むかしばなしをしているみたいで
それもまたいいのではないでしょうか?でも12系はちょっと残念ですね、発電機の音で
機関車の音が聞こえない、、、12系自体私はおもいでがあって好きなんですが、蒸気機関車
のお供としてはどうかなとおもいます。でも仕方ないですけどね。図面通りいわゆる「旧客」
を新製出来ないものでしょうか?ちょっとゆめを見てみましたすみません、、、
EF58 29様 早速見ました!すばらしいですねとても参考になります。つかぬ事お聞き
しますがあの、北星のワサフが八甲田に付いた事あったのでしょうか?(GMのインレタに
なぜ白文字のワサフがあるのか今ごろ気が付いたわたしです。)まだまだ勉強です。


投稿者 221レ
投稿日 9月 3日(月)20時01分57秒
タイトル C6238について
本文

皆さんこんにちは!
C6238についてRF誌94−8号に説明がありましたので紹介します。
C6238(S23.9.29)汽車会社製
23.10.20岡山 山陽本線
24.4.9 尾久 東北・常磐線
24.12.17白河 東北線
29.9.22 尾久 常磐線特急・急行
31.10.30ボイラー振替え(丙缶)
37.10.31水戸 常磐線急行
38.6.1 平  常磐線特急・急行
42.11.24廃車 関東支達第168号
となっており
汽車会社製特有の特徴として
前後対称の蒸気ドーム、給水温め器の側面のカバー、ボイラー昇降踏み板が3枚

その他、はつかり用の側板一体の鋼板製増炭囲い
砂まき管は埋め込み
煙室下にフラットなエプロン付
動力逆転機はヘッドカバー無し
が特徴で平区時代に前灯副灯装備とあります。
汽車会社製のC62は全て解体されてしまったのが残念です。
私も見たわけではありませんが(汗)
オハ61改造のオロ61がスロ51などの初期の特ロ車を駆使したとは以外ですね?
それでは。


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 9月 3日(月)22時22分35秒
タイトル RE2:スハニ35&宣伝モード
本文

スハニ35についてですが、クモイ103さんの書き込み通り10〜12は仙センに配置され、
昭和30年前後には急行「青葉」を中心に使用されていたようです。
そこで質問なのですが、ご存知の通り本来スハニ35は特急用として設計されており、
製造当初は一方向固定座席で、昭和35年頃の昼行客車特急の電車・気動車化により
特急運用がなくなり、近代化工事の際にスハ44・スハフ43と同じように転換式シート?
に改造されているはずなのですが、当初から急行運用であった10〜12の座席は
どうなっていたのでしょうか?
当時の急行「青葉」は編成ごと、もしくはスハニ35だけの方向転換をしていたのでしょうか?

EF58 29さんのHP「70年代後半の客車編成」拝見させていただきました。
各車両の車番や色まで詳細に記録された資料はあまり無いのが現状なので、
本当に貴重な資料だと思います。
これからのHPの内容の充実に期待しております。


投稿者 ストーブ列車
投稿日 9月 4日(火)00時33分14秒
タイトル 参考になりました
本文 EF58 29さんのHP「70年代後半の客車列車」を見てきました。
とても詳しいデータがそろっていてすごいと思いました。
車掌@仙コリさんの言うとうり車番や色まで紹介されている資料は少ないのでとても参考になりました。
これほど詳しいデータを集めるのは相当大変だと思いますがこらからもがんばってください。


投稿者 EF58 29
投稿日 9月 4日(火)09時01分43秒
タイトル ありがとうございました
本文

 皆様、当ホームページへのご来店ありがとうございます。(感謝、感謝)
 まもなく荷物列車の方も順次アップしていきますのでまたのぞいてくださいね。
 (旧客急行より荷物列車の方がはるかに多くなります)

 >103列車機関士様
  八甲田の受持区は青森であり、旧客時代はワサフ、12系化後はスニ41でした。
  北星の青ワサフは隅田川の受持であり、20系も尾久受持であったため、結局
 受持区の違いで青ワサフが八甲田に使用された実績はないと思います。
  なお、北星のワサフ廃止後は一部門司に転出して一般の荷物列車等に使用され
 ていました。

  >クモイ103様
  たぶん写真が重いためにご迷惑をおかけしたと思います。ごめんなさい。
  タイトル写真はフレートライナーと団臨がカブりそうでひやひやでした。

投稿者のホームページ


投稿者 オロネ10
投稿日 9月 4日(火)13時07分44秒
タイトル 皆様、有難うございました。
本文 そんな「スハニ35」があったのですね。私はこの「青葉」(確かに当時は漢字の青葉だっ
たかも)の写真の記憶があったので、当鉄道(9mm)の急行列車には、迷わずつなげて
いたのですが、番号までは合わせられないですね。でも座席は確かにどうしていたのでしょう。
それと当時の「青葉」は、上野と仙台を結ぶ急行と言う事で、特急に継ぐ看板列車的存在だ
ったのではないでしょうか。だからこれらの「スハニ35」は、やや不運、と言う程度だった
かも。歳がバレるので前回は書かなかったのですが、実は幼少(?)の頃の自分も一緒に写っ
ているのです。 (^_^; 残念ながら乗った時の記憶は全然ありません。
先日当鉄道で、暫く運休になっていた「スハ44系」特急を走らせてみたのです。9mmとは
言え、ズラリと並んだ狭窓、重々しい(そうな?)TR47台車の連続、そして最後に展望車
の3軸ボギーが奏でる三連符、もう「EF58」でも「C62」に牽かせても、迫力がありま
すね。103列車機関士さんではないですが、図面はあるでしょうから、「新製」して欲しい
ですよね。
さて時間になってしまったので終りますが、次回は、上越線の客車急行について質問させて戴
けますか。(いつも質問ばかりですみません。記憶以外の資料がないもので・・・)


投稿者 クモイ103
投稿日 9月 4日(火)20時24分25秒
タイトル 一方向だったようです
本文

 PR誌158号(1964(S.39).6月号)の「読者短信」に、「スハニ35の凋落」と題して、
次のような一文が寄せられています。

〜引用〜
 去る3月29日川俣線に乗ってみた.
この線はDC万能の現代において数少ないSL+ハ1両(朝夕は3両らしい)のローカル線であるが,
この日のハは何とかつての列車”つばめ・はと”につながれていたスハニ3512であった.
昔日の栄光も遠く去って崩れかけた小卓を持つ一方向向き座席のこの車両,
わずかにデッキ上の(2等)標識のみが,ありし日を偲ばせて哀愁に満ちた老らくの姿を発見したので
ご報告申し上げる.
〜引用終わり〜

 スハニ3512は、例の仙セン配置車の1両であり、”つばめ・はと”につながれたというのは
必ずしも正確でありませんが、昭和39年の時点で一方向向き座席だった事が示されています。
 なお、特急以外では終端駅での方転はなかったはずです。
「つばめ」「はと」のスハ44系の予備車が、東海道急行に組み込まれる事がありましたが、
それも方転なしで往復したとの事です。

 ちなみに、客車形式図などの情報を総合すると、スハニ35で近代化改造+転換座席改造を
受けたのは、4〜6の3両のみだったと推定されます。
この3両は、昭和40年代に入っても、東京−宇野間急行「さぬき」に使用され、
同形式中最も最後まで優等列車に活躍した様です。
なお、RF誌181号(1976(S.51).5月号)P.39に、アルミサッシ化され、なぜか観光団体専用列車用
の裾帯入り塗色になったスハニ356の写真が載っています(撮影時期不明)。


投稿者 らいちゃん
投稿日 9月 5日(水)00時56分47秒
タイトル 保存旧型客車現状レポート
本文

 お久しぶりです。いつも掲示板ならびにHPを楽しみに拝見させていただいております。
 9月1日に四国へ出かけた際に、ついでに保存旧型客車の所在確認をしてみましたので
ご報告致します。 

1.阿波っ子ステーション 徳島県板野郡藍住町

 オハ47   107 
 オハ47   129 

 共に現存。外観は非オリジナルのツートンカラー。
 形式名などは塗りつぶされており不明。
 車内はレストランに改装され現在も使用中。
 外観は塗装以外は大きな変更もなく良好。足回りもそのまま。
 ただし2両とも貫通扉は鉄板で蓋がされている。
 朽ちやすい屋根は鉄板で覆ってある。
 尚、車両の約半分は、建造物で覆われていた。

2.上板町歴史民族資料館  徳島県板野郡上板町泉谷字原中筋

 スハ43   275

 こちらも現存。上と同じく非オリジナルのツートンカラー。
 形式名などは塗りつぶされており不明。
 車内は、こども?展示室なる展示室として使用されており、改装されている。
 外観はほぼ原型だが、入り口などに大きなひさしが設置されている。
 まずまずの状態。屋外に置いてある状態。
 一応手は入って手入れされている様子。
 足回りについては確認できていないが、多分あったと思う。

 1、2両者とも、次回行った際はデジカメで撮影したいと思います。

3.おまけ その1
 寿し龍(健康ひろば加古川) 兵庫県加古川市別府町壱丁田

 スロ81 2122

 こちらもいまだ現存です。サシ581と共に使用中。
 以前報告させていただいた状態と変化はありません。

4.おまけ その2
 JR美濃大田運輸区 オハ35 2329、オハ47 2098

 これのみ7月に確認。
 共に現存、厳重にシートを掛けられて保存状態は良好と思われる。
 本線上につながるJRの線路上にまだ程度良好なオハ35がいることが嬉しいです。

 私が撮影した写真はこちら。
 動態保存のオハフ46 2008、オハフ46 2009、オハフ46 202
7の3両も留置状態ながら撮影できました。

http://www26.tok2.com/home/raichan/tetsu3/oota.htm

 上のHPの写真、上の状況報告とも貴HPの資料にお役立ていただければ幸いです。

 また、出先で保存客車を見る機会がありましたらご報告したいと思います。
 ではでは。

投稿者のホームページ


投稿者 KIMIJI
投稿日 9月 5日(水)12時55分20秒
タイトル はやたま
本文

管理人様
「さよなら腕木式信号機&タブレット」のKIMIJIです。
いつもお世話になりありがとうございます。
この度リンクしていただいているURLが変更になりましたのでお手数ですが、切替をお願いいたします。

ところで、15年ほど前に天王寺から「はやたま」に乗車し、最後尾オハネフ12の写真があるのですが、
私はその前についた車掌室のない寝台車でした。
この形式が分かれば教えて下さい。宜しくお願い致します。

投稿者のホームページ


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