倶楽部メモ(101)
平成13年 8月15日〜 8月18日

投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 8月15日(水)21時58分18秒
タイトル RE:客車では無いのですが…
本文

さいたさんのご覧になった荷物列車は、お話の内容から
東小倉発汐留行 急荷32レ・34レ・36レ・38レ
または、熊本発汐留行 急荷2032レ
のいずれかの急行荷物専用列車で間違いないと思います。
編成はEF62牽引、おおむねマニ44(窓は無く大きなスライドドアのみ)中心で、
数量の郵便車等を連結といった状況だったようです。
当時の時刻表には荷物列車として掲載されていましたので、当時の時刻表をお持ちの方
どの列車であったかフォローいただければ助かります。
また、急行荷物専用列車については、過去に何度か話題になっていますので、
過去ログを参照してください。

この列車が消えた時期ですが、JR化の約半年前の昭和61年11月のダイヤ改正において
国鉄が郵便・小荷物輸送から撤退するのと共に、急行荷物専用列車も廃止になっています。


投稿者 EF58 29
投稿日 8月16日(木)12時00分05秒
タイトル 参考ー小田原の荷物列車
本文

 さいた 様
 ご記憶の列車は荷2030レと推測されます。
 この列車は東小倉発横浜羽沢行で横浜羽沢着が1:38でした。

 私は末期の荷物列車の編成は記録しておりませんので、RF NO258号の記事から
抜粋しますが、昭和55年10月時点での編成は以下のとおりです。
 機関車
 マニ   天リウ
 マニ44  名ナコ
 マニ   名ナコ
 マニ   名ナコ
 マニ   盛モカか盛アオかどちらか
 マニ44  盛モカ
 マニ44  盛モカ
 ワサフ  熊クマ
 スニ又はワキ 熊クマ
 マニ   熊クマ

 ご実見の年月日が国鉄末期であれば編成もさらに変更しているものと思われますが、
首都圏に未明に到着する荷物列車は東北線への継承の性格を帯びているものであり、
本例のように前7両は盛岡、青森まで足を延ばします。
(うち1両は航送のうえ旭川まで)
 半分客車然ーマニ44かワサフ8000のことだと思います。


投稿者 オロネ10
投稿日 8月16日(木)15時08分03秒
タイトル サボの件ですが・・・
本文

車掌さん、皆さん、お世話様です。ちょっとサボの件に戻って良いですか?

サボ特集をしていた鉄道雑誌も憶えていませんので、手近にあったもの、GMの旧客セットに
付いていたシールのセットを調べてみました。グループに分けたら、以下のようになりました。

1)青地、○○行・タイプ
印刷されていた行く先:
東京、大阪、大阪*、宇野、博多、広島、長崎、西鹿児島*、都城、網走、函館*、盛岡、郡山

2)白地、○○行・タイプ(但し青文字印刷)
行く先: 青森*、秋田、上野、会津若松

3)白地、○○行・タイプ(但し黒文字印刷)
行く先: 金沢*、京都、福知山、米子、浜田、人吉、門司港、

4)白地、○○・タイプ=「行」がない。(黒文字印刷)
行く先: 根室、釧路、稚内、札幌

注)*=経由線名入り。また英文字については、小さ過ぎる為か、印刷はありません。

更に一つ、良く判らないのがありました。

5)白地、○○行・タイプ(青文字印刷)赤枠付き
行く先: 福井*

以上なのですが、何分にもこれでは限られた情報なので、良く判りません。
ただ、記憶と組み合わせてみますと、どうも1)が、行く先の地域も全国に及んでおり、これが
昔からの純正(?)版なのではと思います。それで、もしかすると、青15号塗色の際に、青と
青では判りにくいので、白地ができたのでは、と考えたのですが、それにしては、白地は塗色替
えの遅い、ローカルの普通列車に多く使われていたような気がします。
どなたか、お父さんが国鉄の管理局勤務だったと言う様な方はいらっしゃいませんでしょうか。
それと、5)は何でしょうか?わざわざ一つ色を変えて印刷してあるのですから、GMでは判っ
ていて印刷したのだと思いますが、私は見た記憶がありません。
どなたかお助け戴けますでしょうか。


投稿者 急行出雲
投稿日 8月16日(木)18時47分16秒
タイトル 急行出雲について
本文

皆さん、初めまして。「急行出雲」です。よろしくお願いします。

私の思い出の夜行列車といえば「急行出雲」です。
私の田舎が島根なので、幼少の頃帰省時によく利用しました。
当時(S46年頃)、東京駅の15番線に行くと、最初に牽引機を見に行きました。
当時は形式などは知らなかったのですが、前面のストライプが逆への字をしているのが
特徴だったので後でEF58とわかりました。
今でもEF58の特徴あるヒゲ(私はそう呼んでいる)が脳裏に焼き付いています。

客車は10系でA、B寝台車、普通・グリーン座席車と食堂車で構成されていました。
寝台車には通路上に「1上中下」と書かれた札が、ベッドの横にはバスケットのネットみたいな
ドリンクホルダー(?)が印象的でしたね。

ところで、私はこの頃の急行出雲(東海道線を走る)の写真を今まで一度も見たことがありません。
サボだけなら「鉄道ファン」の特急物語「出雲」で見たことがありますが…

どなた様か急行時代の出雲の勇姿を記録されておられる方、
それをホームページに掲載されておられる方、
或いは「あの鉄道雑誌の何号に載っていたよ〜」という情報をご存知の方、
いらっしゃいましたら教えて頂きたく存じます。よろしくお願い致します。



投稿者 キサハ34
投稿日 8月16日(木)19時19分46秒
タイトル 出雲の写真
本文

お久しぶりです。好きな話題が出てきましたから再登場しました。

▼急行出雲様

超!うらやましいです!10系客車の「出雲」乗車だなんて!

少し時期がずれますが、昭和40年ごろ撮影と思われる写真(しかもカラー!)が以下の書籍に載っております。

「鉄道ジャーナル別冊23、JR急行・快速列車」の110ページです。
EF58の111号機が牽引する写真が載っています。

売り切れ中ですが、最近の本ですので探せば見当たるのでは無いでしょうか?
私はこの写真の編成美に惚れて1/150で一編成模型化しちゃいましたから!



投稿者 103列車機関士
投稿日 8月16日(木)19時37分47秒
タイトル どうもすみません、
本文 EF5829様、車掌様、ありがとうございます。
221レ様私のほうこそ、大変失礼しました。すみません。妻の実家にいまして。
いまさら西イイの話なんですがあの種村さんの列車追跡で
425レのために飯田町があったというのが印象に残りまして、
さてあの飯田町最後の配置車両の中にスハフ36 2008というのがありましたね、
台車振替車だったようですが、スハフ32にTR47でしたでしょうか教えてください、
わたしはNで客車を作ります。話題にありましたがどこまでこだわるかはほんと困ることがあります。
そこでGMの客車は何番あたりがプロトタイプかとても知りたいのです。


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 8月16日(木)20時07分54秒
タイトル 急行出雲の写真について
本文 急行時代の「出雲」の写真ですが、鉄道ピクトリアル誌の1999年4月号(No.667)の
10系特集・寝台車編の3ページに1971年撮影の写真が1枚掲載されています。
たぶん、この書籍とキサハ34さんの紹介された「鉄道ジャーナル別冊23、JR急行・快速列車」
双方とも売れ切れ絶版状態と思われ、新品の入手は困難かと思われますが、古書等を探せば・・・
また、最新の鉄道ジャーナル別冊44「JR列車 リバイバル傑作選〔急行・客車編〕」に
別冊23の一部が再掲されているようですので、掲載されている可能性があるかと思います。
別冊44をお持ちの方がいましたら情報提供をお願いします。


投稿者 EF6113
投稿日 8月16日(木)22時36分56秒
タイトル Nのこだわりについて
本文 みなさんありがとうございました。どこまでこだわるか皆さんにお聞きしたのは、
白井良和氏の「サイドビューPC」を眺めていて、スハ42とスハ43の写真が
同じ様に見えたことでした。
ご指摘のとおり、42は半切妻、43は切妻ですね。
みなさんありがとうございました。


投稿者 221レ
投稿日 8月17日(金)01時43分05秒
タイトル ばんえつ物語展望車
本文

皆さんこんにちは!
15日、SLばんえつ物語号に乗ってきました。
上りは撮影、下りは会津若松−咲花に乗車し
快速あがので戻るパターンでした。
息子2人を連れての乗車だったのですが、席は5号車
隣の4号車に展望車オハ121701が連結されていたので
子供の遊び場になって助かりました(^_^;)
それにしても窓の開かない展望車ではありますが
とても眺めがよくてよかったです。
種車がスハフ12とは思えない改造ぶりで
まるで24系のロビーカーのような天井でした。
旧型客車は1年くらいご無沙汰していますが
12系でもこのような客車なら楽しいですね?
外から見ると455系でも引いているような塗装ですが(汗)

さて、急行出雲様、10系寝台車懐かしいですね?
私も親父の故郷が大分で一度だけS45.12に臨時急行べっぷで乗ったきりです。
当時、5歳なのであまり記憶がありませんが
読書灯の脇に網のようなものが確かにあった気がします。
今思えば52センチ幅の寝台に親父と私が一緒に寝たわけですが
さぞかし親父も狭い思いしたのだろうと思います。
夜中通路で腰をかけていた親父の姿を思い出します。
10系って確か通路に折りたたみ椅子が無かったと思ったのですが
暖房ひれの覆いの上にでも座っていたのかな?

九州行きには20系のあさかぜ、富士などもお世話になりました。
ナシ20の食堂を待つ行列が通路に伸び車端のクロスシートに座れると
いよいよ順番は次だと期待したものです。
あさかぜにはナロネ22がまだ連結されていて
初めて見る個室寝台に興奮したのを覚えています。
あの頃の九州行き寝台は活気がありました。
もちろん私はナハネ20に乗っていましたが・・・
ばんえつ物語号の展望車の丸い天井を見て昔を思い出してしまいました。

Nゲージは息子が大きくなったらまたやりたいです。
今は怪獣に壊されそうなので(爆)
旧客の現役時代は乗れるだけで満足していたのであまり記録はしていないのですが
固定編成の電車と違って客車は1,2エンドの向きや便所の曇りガラスの色や窓、ドアの形など
記録がきちっと残っていれば別ですが、無数のバリエーションがありますし
区間増結などもあり、番号まであまりこだわらなくてもいいのかと思っています。
もしこだわるなら昔の映画やSLなどのビデオを参考にするといいのではないでしょうか?
以前、C62ニセコ号に乗ったとき帰りに小学館のC62のビデオを衝動買いましたが
そこにはニセコ号の編成がばっちり写っています。
郵便車が青かったり茶色だったりその日の編成によって違っていましたが・・・
あと、石原裕次郎の出てる映画(題名は忘れました)で
新宿から夜汽車が出発するシーンがあるのがあったきがします。
雪国あたりでは飯山線でロケしたと思われるのがあって
いまや見ることのできない並ロの車内が出てきたりします。
そういうの探してみるのも面白いでしょう!
編成単位で楽しめるNゲージは雰囲気じゃないかとは思いますが?
それでは。


投稿者 8927
投稿日 8月17日(金)03時13分46秒
タイトル 国鉄末期 荷物列車最終日の様子
本文

ピクトリアル475号のトピックスに 国鉄の荷物輸送最終日 1986年10月31日の
荷38レの記事が掲載されています。 それによると編成は

EF65 1123
マニ50 2064
ワキ8557

と言う非常に切ない編成となっています。
写真も載っていますが PFが入れ換えをしている様にしか見えない!。
パレットタイプの荷物車は結講好きだけど さすがにねぇ・・・。


投稿者 EF58 29
投稿日 8月17日(金)09時10分52秒
タイトル スハフ36青サボ東線?
本文

 まとめて簡単にレスさせていただきます。

 >スハフ36
  スハフ32に台車を振り替えたもので、お見込みのとおりTR47、40Bをはいていました。

 >青サボ、白サボ
  昔は青サボが多かったと記憶しております。これは推測にしか過ぎませんが客車のサボ
 受けの部分に車両によっては等級帯があったため白地では見にくいから濃い青にしたと思
 われます。その後等級帯が廃止され、グリーン車さえ帯が消されると逆に白地の方が目立
 つし、保守や製造も簡単なため置き換わったのでしょう。
  ただ、駅の電柱等に取り付けられた縦の駅名板も青地に白ぬき字が多かったのですが、
 標記類に何がしかの規定があったのかもしれませんね。
  白地に黒で赤枠ー上越線(長岡)経由と信越線(長野)経由との区分と思われます。
 だって「越前」「能登」名前だけでどこを経由するのかはわかりませんもんね。
  私も「能登」と言うと上越線経由の10系寝台付きの方を連想するのですが、巷では
 ヨコカル晩年の489系か14系座の方をさすらしいです。ほんとわからん。

  >中央東線の客レ事情
  47年3月改正時は次のとおりでした。
  新宿発長野行 3本(425レ含む)  長野発新宿行 2本
  甲府発長野行 2本         長野発甲府行 2本
  甲府発松本行 1本         長野発小淵沢行1本
  塩山発甲府行 1本         塩尻発甲府行 1本
  小淵沢発岡谷行1本         岡谷発新宿行 1本
                   甲府発塩山行 1本

 これらから運用表を割り出してみようとしましたが結局できませんでした。
 その理由として、
 ・飯田町、甲府、松本、長野各区に配置があり、他線区に運用が及んでいる
 可能性がある。
 ・東線内でも回送区間があると思われ、折り返し等の関係が把握できない。
 ・もしかしたら2本の列車を途中駅で1本に併結しないと理由のつかない事象
 もあらわれ、判明したのは新宿で折り返しとなる列車と甲府ー塩山間の小運
 転列車のみであった。
  なお、飯田町の客車は配置両数の関係で飯田町ー回ー新宿ーヨ425ー長野ー回ー
 北長野ー回ー長野ーヨ426ー新宿ー回ー飯田町という夜行1往復限定運用という贅沢
 なものであったことは容易に推察できます。(とすれば後は甲府がほとんど?)
  さらに、車掌様ご質問の客レが残っていたことについては小荷物、郵便輸送の関係
 と考えられます。(423、425いずれもマニやスユニがくっついているとおり) 


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 8月17日(金)18時40分12秒
タイトル 急行出雲の写真について−訂正
本文 昨日紹介しました急行「出雲」の写真についてですが、本日仕事帰りに書店に寄ったところ、
鉄道ジャーナル別冊44があったので内容を確認したのですが、残念ながら「出雲」の写真は掲載されていませんでした。
やはりキサハ34さんの紹介された「鉄道ジャーナル別冊23、JR急行・快速列車」を古書店等で探すしかないようです。
また、鉄道ピクトリアル誌の1999年4月号(No.667)の写真は山陰線での写真でした。
東海道本線上の写真が見たかったのですよね、失礼いたしました。


投稿者 急行出雲
投稿日 8月17日(金)22時41分57秒
タイトル 有り難うございます!!
本文

>キサハ34様、車掌@仙コリ様

情報を頂きましてありがとうございます。

>キサハ34様

「鉄道ジャーナル別冊23、JR急行・快速列車」探してみます。
私も1/150で一編成模型化しようとしている一人です。
あの時代には戻れないので、模型で再現して雰囲気だけでも味わいたいですね。

>車掌@仙コリ様

掲載記事の確認をされる為に足をお運びになられたそうで恐縮です。
それでも、鉄道ピクトリアル誌の写真も見たことがないので、探して見てみたいと思います。
たしか牽引機はDF50ですよね?

>221レ様

返信ありがとうございます。私も10系には折りたたみの椅子があったかどうかはわかりませんが、
寝台車に乗ると、真夜中にも関わらず椅子に座って流れる夜景をボーッと眺めていたものです。


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 8月18日(土)00時12分18秒
タイトル ピクトリアル誌の写真「出雲」
本文 ピクトリアル誌の写真についての補足ですが、一般的な外から編成全体を撮影した写真ではなく
車窓から(車両の窓を開けて?)カーブの内側を利用して列車前部を撮影した写真です。
牽引機はDF50ではなく山陰線スペシャル(笑)のDD54だと思われます。
また、模型化したいとの事ですので、念のため昭和40年代前半頃の編成例を記載してみます。
1号車 ナハフ11 
2号車 ナハ11 
3号車 ナハ11 
4号車 ナハネ11 (オハネ12)
5号車 ナハネ11 (オハネ12)
6号車 オロネ10 
7号車 オロフ61 (スロフ62)1−7号車は東京−浜田
8号車 ナハネ11 (オハネ12)
9号車 オシ17 
10号車 ナハネ11 (オハネ12) 
11号車 ナハネフ10(オハネフ12)8−11号車は東京−米子

牽引機は東海道本線はEF58、京都−米子がDD54、米子−浜田がDF50だったようです。
ちなみに昭和43年頃に各車両が冷房化され、
ナハネ11→オハネ12  ナハネフ10→オハネフ12  オロフ61→スロフ62
となっています。この昭和43年以降の編成であればNゲージでも簡単に再現できますよね。
参考になりましたら幸いです。



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