倶楽部メモ(91)
平成13年 6月14日〜 6月16日


投稿者 クモイ103
投稿日 6月14日(木)20時55分51秒
タイトル マニ・マニ・霧島
本文

伊藤正宏さん>

 マニ37 1、2のデッキ改造の件、ご教示ありがとうございます。私の情報不足でした(反省)。

キサハ34さん>

 「西海」の米軍用マニの車体外観上の特徴としては、

1.側面中央の車号の位置には軍番号が標記されていた。但し上段「マニ」下段「M-****」の2段標記。
本来の国鉄車号は、妻面の形式名の位置に書かれていた。
2.デッキ扉、荷物扉ともに、窓ガラスの代わりに車体色の鉄板がはめてあった。
但し一部例外あり(下記参照)。
3.荷物室の側窓には保護棒がなく、ガラスの内側に白っぽい鉄板の目隠しが当てられた写真も多い。
模型ではクリア窓ガラスの内側に白い板を貼り重ねれば雰囲気が出そう。

・・・といった点が挙げられます。窓配置の改造などは無いようです。各車両の特徴は、

国鉄車号マニ31 18・軍番号3203
 マニ31のうち昭和6〜7年製の二重屋根車のラストナンバー。写真:「とれいん」1996年7月号P.85。

国鉄車号マニ31 38・軍番号3221
 昭和7〜13年製の丸屋根車。写真は今のところ持っていません。

国鉄車号マニ32 2・軍番号3217
 マニ32のうち昭和15年製の長柱(張り上げ屋根)車。雨樋は鉄製の細いもの。
車掌室と反対側のデッキ扉はメクラ化されておらず、その側の貫通扉と共に保護棒がある。
写真:「とれいん」1996年7月号P.91。

国鉄車号マニ32 23・軍番号3212
 昭和15年12月以降、同17年まで製造された一般丸屋根車。
写真:「とれいん」1996年7月号P.93および1993年11月号P.71。

・・・と、全て形態の異なる個性的な顔ぶれでした。

 軍番号はもともと、カタカナの読めない進駐軍の将兵が、
例えば「マイロネ38 1」と「スイロネフ38 1」などを取り違えて混乱したのに懲りて、
国鉄車号に関係なく自分たちにわかりやすい整理番号を定めたものです。
この辺の事情は、河原匡喜(かわはらまさき)著「連合軍専用列車の時代」(2000年5月光人社刊)の
P.95〜97に述べられています。
 この軍番号は用途別の番代区分になっており、3200番代は郵便車(および郵便荷物車)でした。
これが国鉄車号の型式番号31、32と偶然まぎらわしく、雑誌か何かで、上記のマニ31を見て
「このマニ32は妻面にマニ31と書いてある」という勘違いの記述もあったような記憶があります。
 「M-」は、昭和27年2月1日付けの鉄道公報に記載された通達により追加されたもので、
こうした勘違いや、荷物車が郵便車として使用される事による混乱を、内部的に防止する
意図があったものと思われます。

 「霧島」の件ですが、昭和40年当時の付属編成は熊本回転の3両でした。
運用番号「熊附1」であり、本来熊クマの運用のところ、門トス車がイレギュラーで入った可能性が
高いと思われます。
 オユ11は、昭和40年10月改正で東京−熊本間に「東郵2」として連結されるようになりました。
但し、連結位置は編成の鹿児島方端部でした。東京方と仰るのは確かでしょうか?
またRF誌の写真の撮影時期を存じませんが、上記改正以前だとすれば、オユは無いのが所定です。


投稿者 EF6113
投稿日 6月14日(木)22時01分59秒
タイトル 主要客車列車編成順序表
本文 ▼クモイ103様
「主要客車列車編成順序表」は何年おきに発行されていたのでしょう。
交通博物館にあるようですが、1冊まるまるコピーが可能なのでしょうか。
貴重な資料だと思いますので、閲覧しかできないのでしょうか。


投稿者 EF5829
投稿日 6月14日(木)22時08分54秒
タイトル イレギュラーあっての客車列車
本文

 またお水をさしにやってまいりました。
 (当方、梅雨なのに節水だそうです)

 私が客車列車の編成に魅せられたのは一つに「イレギュラーが多い」ことです。
 実際に編成を見聞してもいつも標準編成が見られた訳ではありません。
 それどころか私の場合、標準編成よりイレギュラー編成が多いのです。
 荷物列車をとってみますと、
 ・荷物車を郵便車の代用にしている(護送便ですけど)
 ・車両が足りないか不調の理由で他区の車両を代用している。
 ・年末は臨時荷物列車のほか臨時運用車が定期列車に増結され、換算両数が
 多くなりすぎて他の列車に振り替える。
  などなどです。

  旅客列車にもそういう例がありますよね。

  ・帰省期には寝台車が座席車に振り替えられる。(八甲田や鳥海)
  ・寝台車が故障してグリーン車を代わりに連結する。
  ・閑散期は車両を減らす。(今のブルトレでもありますね)
  ・車両の両数が足りなくて、中には当分の間欠車と堂々と時刻表に載せたりする。

 これらを発見して記録をとっている時にはぞくぞくします。(変態かなー)

  この掲示板においても過去の文献等でイレギュラー編成の話題が出てきますが、
 もちろん真相はわからないにしても、そういう例は日常茶飯事的に行われていた
 と考えられます。

  そういうイレギュラーがあるからこそ客車列車は楽しい、そう思われる方も沢
 山いらっしゃると思いますね。

  編成から配置区、共通運用から資料の分析に至るまで、話題は尽きることがな
 いと思いますし、私もいつもわくわくしながらこの掲示板を見ています。
  話題についていこうと私も資料を探してみるのですが、見つかる前に答えが出
 てしまっており、はがゆい思いもいたします。

  また顔を出します。長々とごめんなさい。


投稿者 キサハ34
投稿日 6月15日(金)06時25分18秒
タイトル 軍用荷物車
本文

▼クモイ103様

詳しい解説ありがとうございます。

これで、プラ板から心置きなく側板の切り出しを進められます。
これをGMのスハ32キットと組み合わせて製作するつもりです。
いまではナカセイのマニ31キットは入手困難ですからね。
窓は白いプラ板をそのまま貼ってもいいでしょうね。


投稿者 大キト
投稿日 6月15日(金)10時31分41秒
タイトル 現場の記憶
本文 資料が手元に無いので記憶が頼りの大キトですが、EF5829さん私も代替車は血が騒ぎます
昭和50年頃の話ですが竹下客車区の助役室での会話を思い出しました、「ナハ11のXXの軸が
おかしかぞ〜」と連絡があり暫く立つと「鳥栖に予備があろぅが、それば手配しちゃれ」と
博多弁丸出しで電話の嵐でした、窓ガラスが割れて筑肥線のスハ43形式をオハ47形式に入替え
たりと、局が定めた基本編成表に合わせる努力は大変だったようです、門鉄では長崎・早岐
から竹下へ回送列車のスジがあり、竹下から門司経由で小倉工場へ回送のスジなどもあり、
工場への入出場や転属貸出借入などに使うものです、13時頃竹下駅へ行くと回送列車が待機
中で珍しい他局車などを眺めたものです、基本編成表には列車としての換算重量も記されて
「ナ」が「ス」になると都合が悪いのですね、また座席数の整合など運転助役さんはテキパキと
処理していましたが、職員は転勤があるので各区に顔が利くのも凄いと思いました、ただし
お役所仕事ですからイレギュラ発生はかなりの書類を書いて判をもらって日誌に書いてと
大変だったようです、以前は見学が自由だったので助役室で戸棚の書籍を読む事も出来まし
たが、のんびりした時代だったのでしょう、西部支社では何かあった時の予備車を鳥栖や
鹿児島に配置していた様ですが、予備車として留置しているのではなくローテーションの
中に予備車待機のような手段があったと思います。
 それにしても竹下客車区は20系の予備車を1両も持たず20数年も折返検査をしていたので
すから感心します、軸がボスからズレて交換しなければ品川に返せないと判断して、貨車で
鹿児島から軸を運ばせて交換した話も遠い過去になりましたが・・・では、このへんで!
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投稿者 横山@車両名鑑
投稿日 6月15日(金)15時38分39秒
タイトル 軍用荷物車
本文 皆様、ご無沙汰しております。
久しぶりに拝見させていただきましたが、
軍用荷物車の話題がでているようですのでお邪魔いたしました。
ご専門の大キト様をさしおいてなんですが、昭和30年初め進駐軍貸渡客車の3200代としては
マニ31・32のほかにスニ30やカニ29もあったようです。
また形態的の話ですがクモイ103さんのご説明以外に
側窓外側に保護棒が付いている車両も見受けられます。
ちょうどシルとヘッダを結ぶかたちで4本の細い棒がとりつけられているようです。
まるで囚人護送車のような雰囲気です。Nゲージでは工作がたいへんそうですね。
失礼いたしました。
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投稿者 横山@車両名鑑
投稿日 6月15日(金)15時53分18秒
タイトル 軍用荷物車 追記
本文 マニ31・32の軍用荷物車最後の4両はクモイ103さんのご説明にあるように「西海」に
使用されたとのことですが、他の車両はどのような運用だったのでしょうか。
他のマニ31・32やスニ30・カニ29に定期運用があったのでしょうか。
ご存知の方がいらっしゃいましたらご教授下さい。
たびたび失礼いたしました。
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投稿者 クモイ103
投稿日 6月15日(金)23時30分32秒
タイトル Re:主要客車列車編成順序表
本文

 ・・・は、大きなダイヤ改正毎に作成されていた模様です。
交博図書室にあるのは、昭和35年6月1日(但し「はやぶさ」20系化以後とあるので、
その影響を受けるものについては実際には7月20日、また北海道地区は7月1日)のものが最も古く、
以後、36年、39年、40年、41年、43年、45年のそれぞれ10月1日付けのものがあります
(もっと新しいものもあったかも知れません)。
 コピーは部分的なら可能ですが、1冊まるごとは禁止になっています。
図書館として一般の市販書籍も扱っている関係上、著作権の問題によるのだと思います。
申込書を書いて係りの人に複写してもらう方式で、機械が1台しかないため、
時にはかなり待つこともあります。
壁には、多量のコピーを申し込むのは極力控えるよう求める掲示も貼ってあります。
コピー代金は高いですが、安易なコピーを防ぐためには仕方なく、
また、貴重な資料を公開してくれる博物館の運営に協力するためと思って、私は割り切っています。
これまでずいぶんつぎ込みました。f(^^;

 話変わって軍用荷物車の運用の件、私の手に負えるのは上記資料のある
昭和35年6月以降でして、それ以前についてはとんとわかりません。
専門の方々にお願いしたいと思います。
 もともとこの話題、EF6113さんへの質問を横取りしたものでした。
たまたま自分の模型のために必死で調べた事だったので、興奮してまくし立ててしまい、
ご気分を害されたかと思います。
申し訳ありませんでした。m(_ _)m


投稿者 EF6113
投稿日 6月16日(土)00時11分09秒
タイトル 主要客車列車編成順序表
本文

▼クモイ103様

質問の件に詳しくお答えいただきありがとうございます。
やはり資料の利用には手間とお金がかかるようですね。
しかし、貴重な資料を散逸することなく管理するためには仕方がありませんね。

>ご気分を害されたかと思います。

全く気分を悪くしたなんてことはありません。
客車については全くのかけだしの小生には「軍用荷物車」という概念すらありませんでした。
したがって、クモイさんにお答えしていただき本当に感謝しております。
先にも申しあげましたが、客車列車はバリエーションが多く、イレギュラーな要素も強いため、
その実像を知るためには、皆さんそれぞれの実体験、こつこつ調べまとめた資料、
実際の調査などがどうしても不可欠なようです。
皆さんの丁寧で詳しいコメントには本当に感激してます。
これからもいろいろご指導、ご教授お願いします。


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