倶楽部メモ(72)
平成12年12月26日〜13年 1月 2日

投稿者 やまだ
投稿日 12月26日(火)23時24分15秒
タイトル 『やこうれっしゃ』私も大好きでした!
本文

皆さんこんばんは。

絵本の『やこうれっしゃ』が話題になっていますね。
私もこの絵本が大好きでして、幼稚園の備品の絵本の山から初めて見つけたときの
感動は忘れることが出来ません・・・
さくら号様のお話ですと1980年に初版本の刊行のようですので、どうやら私は
出来立ての絵本を見ていたようです。
(私が見ていたモノは背表紙の無い、中綴じ式の新作絵本シリ−ズでした・・・)
幼児の頃から上越筋のEF58と旧客、荷物列車が大好きだった私にとってこの本
は今でも欲しい一冊です。

PS、ウエレク ニカホ様 はマニ車の荷扱手をなさっておられたのですか!?
 私は、幼い頃 郵便・荷物列車か貨物のヨ太郎に乗務することが夢だったので、
 思い出話などお聞かせいただけると大変うれしいです・・・
 よく南浦和駅で325レ や他の荷物列車を眺めていたので、もしかすると
 ウエレク ニカホ様が乗務されている列車を見たことがあるかもしれませんね?


投稿者 ウエレク ニカホ
投稿日 12月27日(水)11時24分59秒
タイトル 「やこうれっしゃ」に混ぜて
本文  カレチさん、乗客の皆さん、車内を騒がせてごめんなさい。老いのたわ言、捨て置き下され。
やまださんや3レさん、他の乗客の方々がお話している3605レ「能登」について語らせてください。
この列車の乗車ルポは197X年の鉄道ジャーナルに記載されてました。
スニ41に乗務した頃、覚えているのは清水トンネルのループ線を体験するため方位磁石を
かざしたことと、長岡でEF81の次位となり、方向感覚が混乱したことです。(上野で最後部に連結)
スニ41はパレット輸送を前提とした荷物車で、スニ40に乗務員室と小さな荷物室を
取り付けたような車両でした。
 客扱いは金沢車掌区で車掌(乗客案内)3名とカレチ、チーフのチームだったと思います。
EF64 1000番台出現直前の頃の話です。
 北陸方面は「北陸」が寝台特急金沢行、「越前」が信越線経由福井行、
上越線経由金沢行が「能登」、信越線経由直江津行「妙高」等が印象に残っています。


投稿者 Satokawa
投稿日 12月27日(水)12時22分51秒
タイトル またまた『やこうれっしゃ』
本文 『やこうれっしゃ』で盛り上がっているようですが
私の持っているのは1999年版の第19刷です。
19回も増刷するなんて、相当人気あるんですね。
初刊時にRF誌に紹介されていたので、色々と
探したのですがなかなか見つかりませんでした。
去年、子供と絵本を探しに行ったときに偶然見つけ、
即、購入してしまいました。子供には渡さず私の
コレクションになってしまっております。
模型工作上、室内のサンプルとして相当の価値有りです。


投稿者 糸井
投稿日 12月27日(水)16時25分19秒
タイトル こんにちは。
本文  皆様、どうもはじめまして。前回が初投稿の糸井と申します。
兵庫県西宮市在住の中学3年生でございます。
前回の投稿を早速読んで頂いた方がいらっしゃると知ってうれし限りです。
 さて、僕のオハフ33 33についての投稿を読んでくださった、大和路環状線様へ。
こちらこそ、どうもはじめまして。あの車は、あなたにとって思い出の車だったのですね。
しかし、もう車籍はなく、本線での走行は望めそうもありません。
そのことは同車の状態の悪さを一度見ただけでお分かりになるとおもいます。
もはや同車は生ける屍となっています。
塗装や表記は、随分はげ、車内は扇風機がおちていたり、
腰掛けがいくつかぬけおちていたりしていました。
しかし、ニス塗りの車内や網のたな、群青色というのでしょうか、あの独特の色のモケットをした
いすなどにおいてはほぼ原型を留めています。289号車よりも旧客、といった車内でした。
 ところでこの33号車、ご存知のとおり現役時代は福知山客貨車区にいました。
そして福知山線で活躍をしていました。
大和路環状線様はその様子を実際にご覧になったのでしょう。大変うらやましく思います。
今でもはっきりと残る福知山線の旧線跡に立つと、よき時代のDD51に牽かれた
オハフ33 33とその仲間たちが今にもやってきそうなきがします。
ところが旧客たちにも、最期がやってきます。確か電化かなにかの時だったとおもいます。
時としては、JR化直前くらいだったと思います。
退役した後、しばらくは福知山客貨車区に留置されていたそうですが、
平成2年にとうとう鷹取工場へ連れて行かれてしまったそうです。
そのなかで唯一オハフ33 33のみは助かったそうです。
 ちなみに、「さようなら国鉄号」については、詳しい名称などは恐れ入りますが僕もしりません。
しかし、オハフ33 33が東京・大阪間を往復したのはたしかです。
 それでは、皆様、失礼いたします。


投稿者 スハ32
投稿日 12月27日(水)18時43分51秒
タイトル オハフ33 33
本文   オハフ33 33ってニス塗り車内だったんですか?
昔山陰長距離鈍行で乗った気がしますが・・・。
ここまで無事に線路にのっかてるんで、何とか保存できないものですかねぇ。
35系の若番は、現役では大井川のオハ35 22ですね。
壊すのは簡単ですが、後で取り返すことは出来ません。
 しかしこうなる前に旧客を欲しがってた真岡鉄道とかに売却すれば良かったのに・・・
とちょっと残念です。近代化改造車よりもオリジナルの方がイベントでも人気取れるんですけどねぇ。
(例・東のスハフ32や北のオハフ33、大井川の35系)


投稿者 スハ32
投稿日 12月27日(水)18時55分45秒
タイトル 2325レ
本文   懐かしいですね。10時25分発の2325レ。
小学生6年の時に初めて関東周辺を友人と周遊したときに乗りました。
高崎のニス塗りの35系にEF58が、電車ばかり乗ってる私には、かなり刺激的でしたね。
長距離列車の雰囲気が漂ってました。結構なスピードですっ飛ばすので、迫力もありました。
現在の高崎線と同じで客車でありながら地上ホーム発5番線?でしたね。
 11:15の一ノ関行き123レは、白熱灯のオハ61や茶色のスハ43など
ブルーの43系や35系主体の高崎線や常磐線の客車列車とは明らかに雰囲気が違ってましたね。
32系が臨時でくっついてたときも有りました。
当時長距離列車の代名詞でもあった13番線ホーム発だったのも印象に残りましたね。
昼間でもくらいので、車内やデッキの白熱灯にテールの赤ランプが、いい味出してました。
 もう20年以上前の話なんですねぇ・・・。


投稿者 いっしー
投稿日 12月27日(水)20時48分20秒
タイトル 筑豊線の客車
本文 上記の客車列車は今の時点でなくなる時期とかわかっているのでしょうか?
知ってる人いますか?


投稿者 小竹裕樹
投稿日 12月27日(水)21時58分49秒
タイトル オハフ33 33
本文 かなり久しぶりのカキコします。
オハフ33 33の話題で楽しませていただいています。
私は実際には乗ったことはないのですが、昭和61年7月に駅に留置しているのを撮影しました。
地元の紀勢本線の旧客が先に廃止され山陰に残った旧客に乗りに出かけたときでした、
当時、撮影することより列車に乗ることが好きだった私ですが、
紀勢本線で活躍したオハフ33 333とよく似た番号のオハフ33 33を見かけて、
これは!とたまたま撮影しました。(どこの駅だったかは不明)
そのときから状態は良くなくありませんでしたが、まさか今も残っているとは、
なんか嬉しくなりました。
そのときの写真がこちらです。
     ↓
http://homepage1.nifty.com/kiha75-300/untitled2_008.htm


投稿者 大和路環状線
投稿日 12月27日(水)22時11分35秒
タイトル 再びオハフ33 33
本文

糸井さん、スハ32さん、小竹裕樹さん、こんにちは。 
糸井さん、私のコメントに対してご丁寧にありがとうございます。

オハフ33 33が引退したのは城崎電化の前年、昭和60年3月改正ですね。
この時、全国的に散在していた旧客が徹底淘汰され、福フチでも旧塗色(ぶどう色)
の客車は(オハニ36 7・11を除く)全車がリストラの対象になりました。その1両に
33 33があったわけです。

オハフ33 48・289(米ヨナ)は昭和10年代の老朽車(ブルーの改装車)ながら、
旧客最後の年(昭和61年)まで走り続けた幸せ者です。289は現役当時に乗ったこと
もありますが、復活後、昭和62年3月に「国鉄ご愛顧感謝号」(京都〜姫路)で再び
乗る機会がありました。糸井さんも宮原でご覧になったとのことですが、現役当時と
大違いのピカピカ車内が印象的でしたね。
私ももう一度見てみたいです。

>オハフ33 33が東京・大阪間を往復したのはたしかです。

現場の方が仰ったとのことですから、勿論事実でしょうね。
私の勝手な思い込みでご迷惑をおかけしました。申し訳ありません。

小竹裕樹さん
>(どこの駅だったかは不明)

涙が出そうな写真ですね。
当時、旧客を大量に留置していた駅と言えば、綾部・和田山・東舞鶴・西舞鶴だった
と思いますが、和田山は青15号(この中にナハフ11 1がいた)ばっかりだったので、
それ以外のどれかでしょうか・・・。


投稿者 糸井
投稿日 12月29日(金)01時25分32秒
タイトル 皆様どうもありがとうございました
本文  前回オハフ33 33についての投稿をさせていただいたところ、
何名かの方が同車にまつわる思い出や同車の知識などを投稿なさっていました。
僕はお陰様で随分とエンジョイすることができました。
 まず、スハ32様へ。いまさらで大変申し訳ございませんが、僕も「あの車の車内は
ニス塗りだったのか」と問われると「はい」とも「いいえ」とも答えられません。
ただなんとなく独特のテカりが感じられたのと、同車の車内が鉄道雑誌での
「ニス塗りの車内」という解説つきの車内写真そのままの車内のように感じられたからです。
他の皆様お教えいただけますでしょうか。
それとあなたは現役のころの同車にご乗車なすったのですね。
もう僕ぐらいの世代では客車に乗ったことがあるという人でさえ、小数派です。
僕も現役の旧客には大井川鉄道で小1のころ家族旅行で乗ったことがあるだけです。
また、真岡鉄道などへの売却は少し傷みすぎなのでむりでしょう。
僕も同車がパレオエクスプレスの一員として走って欲しいとは思いますが。
 次に小竹様、オハフ33 33のお写真、拝見いたしました。とてもきれいでしたよ。
退役後とはいえ、昭和61年頃はあの車もまだきれいでしたね。今の同車とは随分違います。
ここに載せられるものならば今の同車の姿もお目にかけたいのですが、
今の僕には、そんな技術はありませんので申し訳ございません。
 そして、大和路環状線様、同車や289号について色々教えてくださって
本当にありがとうございます。
引退した年などについては僕も実を言うと知らなかったので、本当にいい勉強になりました。
また「国鉄ご愛顧感謝号」もその名前すら知りませんでした。
 また今度高校鉄研部員という身分を利用して(僕の学校は中高一貫なので)宮原の旧客を
見に行こうと思います。
しかし、前回も165系に会いにいこうと(165系の大ファンの僕の要望でした)日根野電車区の
見学を計画しましたが、お釈迦になり、結局は1人で和歌山へ行く羽目になりました。
だから今度いつになるか心配です。
それよりも、それまでオハフ33 33が無事かどうか165系にも負けないくらい気になります。
 最後に皆様にお尋ねしたいことが。
高1の先輩から宮原にいまでも20系客車が4両いると聞きました。
しかし、一月の車庫見学のときには見あたらなかったのですが。
広い敷地の中、いてもおかしくはないとおもいますが、1997年11月29日の
新大阪・岡山間のさようなら運転の後全て解体されたはずです。
車籍は当然ないと思いますがお心当たりのある方は是非お教えください。


投稿者 天リウ
投稿日 12月29日(金)11時22分38秒
タイトル はじめまして。
本文 会社は休みに入っているのですが、当番出社したものの、することが無くパソコンで遊んでいると
この素晴らしいHPを発見し、非常に感動し楽しかった客車列車の旅を思い出しました。
昭和51年8月、私が中学2年の時、朝刊配達で貯めたお金をもって天王寺22:40発
亀山経由名古屋行き「南紀」のオハネフ1267に乗り込んだものの寝れるはずもなく
和歌山でEF58からDF50にバトンタッチ。
初めての紀勢本線で最初、複線か!とがっくり来たものの少し睡魔のに襲われていて
ふと気が付くと闇夜に浮かんでいた腕木式信号機に感激したものでした。
この列車はご存知の方も多いと思われますが天王寺出発時は魚釣り列車、
早朝は行商のおばちゃん、そして通勤、通学、変身して行きます。
途中駅ではホームにリヤカーが置いてあり、駅員さんが行商の荷物の積み下ろしを
手伝っておられた風景も心に残ってます。
地声で「ろっけんーろっけんー、次は、たかちゃやー」と言う駅員さんも。
こんな国鉄臭さがたまらなく好きでした。さぁ帰宅したら当時の乗車記録でも引っ張りだしましょう。


投稿者 ぷりる
投稿日 1月 1日(月)23時31分25秒
タイトル スハフ43(スハ44改)の妻面について
本文 はじめまして。
どなたかご存知の方教えてください。
スハフ43のうち、スハ44改の車番(11〜)の妻面が
どうなっているのかご存知な方。あるいはそのものずばりの
写真なんかどちらかに無いでしょうか?
少なくともS40年代後半までは車籍があったようなので・・・
よろしくご教示ください。お願いします。


投稿者 ウエレク ニカホ
投稿日 1月 2日(火)00時47分36秒
タイトル 年末輸送
本文  カレチさん、乗客の皆さんおめでとうございます。今ごろは乗り回しで大変なことと存じます。
年末年始の波動輸送は現在も勿論ですが、昔は一大イベントでした。
乗務員同士では行路を巡る様々な悲喜劇が演じられました。
これは昭和53年頃のU車掌区の下っ端長距離乗務員の昔話です。
当時夜行急行列車が最後の活躍をしていた頃でした。
ある先輩車掌さんがひどく不機嫌な顔をしていました。
左手にはモギリと呼称した車内精算用急行券の分厚い束が異様に目を引きました。
 新入りの私が伺うとギロリとにらみ、所定の○○が突発休したので予備待機の俺に順番が
来たけど、乗り込み列車が「十和田201レ」だから不機嫌なんだとのこと。
当時20系客車の急行運用が開始され、前述の「十和田」も20系化後最初の波動輸送となりました。
午後11時半の203レはまだ旧客車編成でしたので、午後8時50分発201レはお客さんの集中と
車掌の奮闘を招くこととなりました。(時間帯から言っても常磐線沿線で客扱が可能です)
しかもこの先輩車掌は予備待機でしたから2夜行3帰り可能な準備はしていません。
またこの列車は当時稼ぎの多い列車で無札で飛び乗るお客さんの多いことで有名でした。
急行券をもいで車内補充券を発行し酔った乗客から切符代を頂戴し、座席開放のナロネ20の
床下シートを引き出さないように注意(ここまで来ると果たして注意だったか判明しませんが)
しながら、赤鉛筆でモギリの急行券の発行枚数と領収金額をチェックし、空調の効き具合を心配し、
師走の家庭の都合もキャンセルして渋々青森へ向かう先輩車掌の後姿は、
故郷へ勇んで帰る自由席のお客さんと、皮肉なめぐり合わせに思えました。


投稿者 キサハ34
投稿日 1月 2日(火)11時33分53秒
タイトル スハフ43 11〜24
本文

あけましておめでとうございます。

▼ぶりるさん
 同車は特急「みずほ」や急行「銀河」での活躍が有名ですね。
で、前者は行灯テールマークをつけていたため、昔の特急列車の特集でよく出てきますよ。
 例えば手許の近年の「鉄道ファン」誌をめくってみると・・・
1994年 4月(通巻396号)の61ページ
1994年10月(通巻402号)の44ページ
など、いかがでしょうか?(いずれもデッキ側ですが)
 一言で言えば、種車に標識灯とテールマークのソケットをつけただけのようで、
手ブレーキハンドルの出っ張りはないようですね!
(なぜでしょう?スロフ53・62・81、オロネフ10みんなありますが?)。

以上、参考まで。



  「客車列車の旅」へ 「客車倶楽部」へ  
夜行列車や旧型客車列車の音や資料を掲載
客車専門サイト「客車列車の旅」はこちらから
掲示板「客車倶楽部」本体へはこちらから
過去ログ「倶楽部メモ」もこちらから