倶楽部メモ(57)
平成12年 8月18日〜 8月22日


投稿者 マユニちゃん  
投稿日 8月18日(金)12時03分31秒
タイトル 旧、旧客
本文 皆さん、はじめまして。マユニちゃんと申します。
つい最近、このページを見つけました。感動ものです。
いろいろなページを見ましたが、客車って、ホントいろんな形式があるんですね。
マユニ78とか,スシ28とか、マハ29とか・・・だいたいマハ29なんてどんな客車なんですかね。
なんかマハラジャ、っていう感じがするし、
怪傑ハリマオが 乗ってそうな そんなイメージがあるんですけど。
とにかく古い客車なんでしょうね。・・・とても奥深い世界だと思いました。



投稿者 伊藤正宏
投稿日 8月18日(金)16時19分59秒
タイトル Re:旧、旧客
本文

 マユニさん、こんにちは。

> マユニ78とか,スシ28とか、マハ29とか・・・
 どの形式も余り馴染みがない形式で、しかも戦前製の食堂車とマハ29形は経歴が複雑
ですので、一言で言い切るのは難しいのですが、簡単に説明するとこんな感じです。

  マユニ78:
   3軸ボギーの戦災復旧車オハ78形を郵便荷物車に改造した車両。
  スシ28:
   戦前製の食堂車スシ37形を1953年に改番整理して生まれた非冷房の食堂車。
   冷房車はマシ29形です。
  マハ29:
   戦時中に戦前製の寝台車や食堂車を普通車に格下げ改造したのがマハ47形ですが、
   そのマハ47形の中でも寝台車や食堂車に復活されずに残っていた車両を1953年に
   改番整理して生まれた普通車。

 分からない形式がありましたら是非「弊サイトへどうぞ」といきたいのですが、上記の形式
についてはマユニ78形しかありません。よろしかったらご覧下さい。

投稿者のホームページ

投稿者 いっしきまゆこ
投稿日 8月18日(金)19時27分17秒
タイトル 列車内アナウンスについて
本文

バスや電車のアナウンスがなぜ独得のイントネーションを持つのか、についてどなたかご存知の方がいらっしゃったら教えて下さい。
明らかに話し声と違うイントネーションでアナウンスを行うことの効果は何かあるのでしょうか。
声帯を守る、乗客の話し声と区別しやすい、等の理由があるのでしょうか。

お返事をいただけると嬉しいです。


投稿者 221レ
投稿日 8月18日(金)23時48分28秒
タイトル 白熱灯の客車
本文 皆さんこんにちは。
先日、大井川線のSL列車に乗ってきました。
C56牽引のオハ35ばかりの編成だったのですが
トンネルに入ったとき気付いたのですが
車内灯が白熱灯の車両がまだ残っていたのですね。
車番を控えるのは忘れましたがm(−−)m
とてもいい雰囲気でした。
確か、一番千頭よりにつながっていました。
私が乗ったのはリベット打ちのウィンドシル・
車内ペンキ塗りのオハ35でしたが(汗)
ここの客車のバリーションにはいつ乗っても本当に感心します。
いつまでも走りつづけてほしいものです。
それではまた。


投稿者 マユニちゃん
投稿日 8月19日(土)03時08分48秒
タイトル どうもありがとうございます。
本文 伊藤 正宏様、詳しく教えていただいて、本当にありがとうございます。
マユニ78(スエ78)の写真を拝見致しました。
こういう変わり者の客車を見ちゃうと、模型化したいですね。Nですけど・・・ 
グリーンマックスのキット、スニ42とスハ二61の切り継ぎで、3軸台車を履けば何とか出来そう・・・
あ、すいません。独り言が、多すぎました。
それではまた。   


投稿者 小竹裕樹
投稿日 8月19日(土)08時50分01秒
タイトル 大井川鉄道
本文

221レさまはじめまして。

221レさんも私と近い日に大井川鉄道に行かれていたのですね。
私は8月14日に往復乗車してきました。そのときの編成もオハ35とオハフ33だけの編成でした。
ニス塗りの車内に白熱灯いいですね。
旧客独特のジョイント音も当時とかわらず、紀勢東線や山陰線の旧客で旅した青春時代が
蘇ってくるようでした。
ちなみに私が乗ったときの編成は
←金谷
(E102)オハ35-435+オハ35-459+オハ35-559+オハフ33-469+オハ35-22      千頭→
                         +オハ35-149+オハ35-857(C56-44) 
でした。
私は行きはオハ35-435に乗車、帰りは、本当は行きと同じオハ35-435ですが、
オハ35-22が空いていましたので、そこでビデオ撮影をしていました。

下のリンクに大井川鉄道の写真がありますのでよかったらご覧になって下さい。   

投稿者のホームページ


投稿者 さくら号
投稿日 8月19日(土)18時47分46秒
タイトル 旧型客車の思い出
本文 旧型客車の思い出
私が小学生低学年のころ急行「雲仙・西海」に乗って東京まで行っていました。
C57の門鉄デフをつけた機関車が牽引し,本土では茶色のEF58の牽引でした。
いつだったか混んでいるときにカレチが席が空くまでナハフ10の車掌室へ連れていってくれて
そこにしばらく座っていました。丸いブレーキハンドルが印象的でした。
それにしても東京行きの「雲仙・西海」はよく混んでいました。
時々オハネ17と思いますがの寝台に乗った時の思い出として寝台灯の電球がめずらしく
つけたり消したりしていました。寝台側の網戸も驚きました。
筑肥線では今は電車が走って地下鉄に乗り入れていますが,昭和40年始めの頃
C11がオハ60系を牽引して朝と走ってよく乗りました。
トンネルに入ると窓を閉めましたが独特の煙の臭いがして白熱灯がくすんで見えました。
高校の時の修学旅行はスハネ16で大阪に行き帰りはオハ47で帰ってきました。
学生時代は「ながさき」号にのったり,社会人になって出張の時にわざわざ西鹿児島から熊本まで
オハ47?乗ったりして客車を楽しんでいました。
停車中の車内は今の電車なんかと比べたら「しーん」としてえらく静かでした。
オシ17で食べたカレーもおいしかったですよ。
私は現役の旧型客車に何回も乗れたのはいい思い出です。


投稿者 吉備線721レ
投稿日 8月19日(土)23時52分07秒
タイトル Re:列車内アナウンスについて
本文

普通人間は相手の顔を見て話しをするんですが、車内アナウンスはマイクひとつで相手の顔なんか
見ないで「わかり易く」「手短に」話しをしなければならないし、揺れる車内で「一方的に」
情報を伝えるには、何らかの特徴を持たせたほうが、相手に「わかり易く」伝わります。

と、まあ難しい理屈はここまでにして、
結局うまい人が一人いたら、みんなその人の口調を真似するので、あんな感じになるみたいです。
昔の客車は、ノイズがあったり、車両ごとに音量が違ったりして聞き取りにくいのも多かったの
ですが、今の車両はマイクもスピーカーもいいものがついているのでかなり聞き易いと思います。
ただし、個人差はどうしても出てくるだろうし、各地方によって方言もあるし・・・

個人的には放送の前にはチャイムを流してほしいです。


投稿者 akihiko
投稿日 8月20日(日)03時54分50秒
タイトル 自分の旧客の思いで
本文

自分が初めて乗った旧型客車は、EF55の復活したころの、
EF55で行く両毛線「ぶどう狩り号」が初めてでした。
このときは、スエ78付の7両で運転されました。
二回目は、信越本線の横川〜軽井沢間の廃止に伴って、
1997年9月6日の「惜別 碓氷峠」でした。
この列車は、自分がJR貨物労組の役員に話をして、仕立てた列車で、
運転区間は、品川〜軽井沢間で、品川〜高崎間は、EF58 61、
高崎〜軽井沢間は、EF62の牽引で、
品川〜軽井沢間まで、EF62での通し運転をしたかったのですが、
希望が通らなく、東日本からEF58の61号機か89号機で、
我慢してはくれないかと、言われたことがありました。
客車も、スハフ32が入っていたので、スハ43と交換してもらったり、
12系客車も当初は、上野の方に付くと言われ、
軽井沢方に付けてくれと要望変更したり、
高崎〜軽井沢間は、12系客車を付けないでくれと、
要望を出したが、高崎での入換え要員がいないと言われ却下されたり、
軽井沢までは、何事もなく着くことは出来ましたが、
帰りが、先行して下っていった、スーパーエキスプレスレインボーの機関車が故障になり、
途中から、後退運転をしてながら軽井沢まで戻り、
我々のEF62を使用して、下っていきましたが、
我々の列車は、壊れた機関車を応急処置をして、念のためにEF63の重連をもう一組付けて、
五重連で、遅れながら軽井沢を発車して下っていきました!

長々と、書き込みして、すみません。


投稿者 221レ
投稿日 8月20日(日)11時20分31秒
タイトル 九州行寝台特急
本文 小竹さんこんにちは。
大井川の編成ありがとうございます。
私は8月6日に乗ってきました。
子供を連れて浜松工場の見学の帰りに寄った次第です。
こういう状態なのでまともに写真を撮れないのがつらい所です。
akihikoさんご自分で列車をプロデュースされるなんてすばらしいですね。
さくら号さん、オシ17にお乗りになったことがあるのですか
うらやましいです。
私は父に郷里の関係であさかぜや富士の食堂車には良くお世話になりました。
ナシ20は定員の多い20系のためか車端部の待合室から通路にも人があふれ
活気がありました。
EF66に牽引機が変わったあとのオシ24では、揺れが激しくてビールがこぼれたことも
九州行きの寝台に乗って
朝の広島以西の瀬戸内海を眺めながらの食事はとても楽しかったです。
20系時代のあさかぜは個室付きのナロネ22がついていたり、
最後部のナハネフ22の展望室?から眺める景色も良かったです。
瀬野八では朝日を浴びながら坂を登っていくEF59重連の姿を思い出します。
20系って発車時ドアを開けておくと自動的に閉まらないので
旧客のようにドアを開けて風を浴びたこともあります。
北海道行の寝台が華やかになる一方、九州寝台はさびしくなるばかりですね。
ちょっと出発時間が早すぎていけません・・・
電車化するか、廃止しかないのでしょうけど
新幹線のトンネルに入ったときの衝撃にどうしてもなれないので
もう少し頑張ってもらいたいところです。


投稿者 水ミト
投稿日 8月21日(月)13時34分27秒
タイトル ハイケンス
本文

8月16日(水)の投稿にあった、きん様のハイケンスですが、
kyaku2.wav
kyaku5.wav
kyaku4.wav
は、いわゆる電子ハイケンスだと思います。

放送アンプ内部の調整つまみで、音の変化を調整できるために、
上記のような多種に聞こえてしまいますが、
基本的に同型装置からのハイケンスだと思います。


投稿者 きん
投稿日 8月21日(月)23時45分20秒
タイトル re:ハイケンス
本文

水ミトさま、こんばんわ。

>kyaku2.wav
>kyaku5.wav
>kyaku4.wav
>は、いわゆる電子ハイケンスだと思います。

kyaku2.wav と同じ列車内で2度録音したときにもう一つの方がポイント通過時の揺れの影響?(なのかどうかはわかりませんが)
最後の方で音飛びしていましたので、kyaku2.wavはオルゴール版とみています。

kyaku5とkyaku4 は仰せの通りかもしれませんね。何度か聞いてるウチにわけわかんなくなってきました(^^;

投稿者のホームページ

投稿者 きん
投稿日 8月21日(月)23時54分43秒
タイトル 私の旧客の思い出
本文

もう10年以上前になるんですが、夜行ドン行「山陰」で浜坂を目指しました。雪の降る深夜の
浜坂駅待合室でしばし待たせてもらい、始発の京都行きを待ちました。
この京都行きこそ、ご存じ今は新天地で暮らすオハニ36使用列車だったんです。

もちろん白熱灯のオハニ36に乗り車内で座っていたら・・魚を運ぶおじさんおばさんに
「ここはだめだよ、あっち行って!」と追い払われて・・当日の編成は京都方からナハフ11+
オハフ33(茶色ニス塗り)+オハニ36という涙もの編成でして、とりあえずナハフに移動。
餘部の頃には行商人も居なくなり、まだ暗い餘部鉄橋を死ぬほど臭い(^^;車内で渡りました。

オハニは途中で切り落とされ、以降はオハフ33で京都まで。今となっては二度と経験できな
い懐かしい思い出です。

投稿者のホームページ


投稿者 水ミト
投稿日 8月22日(火)20時51分39秒
タイトル Re2:ハイケンス
本文

たびたび、すみません。水ミトです。

>kyaku2.wav と同じ列車内で2度録音したときにもう一つの方がポイント通過時の揺れの影響?(なのかどうかはわかりませんが)
>最後の方で音飛びしていましたので、kyaku2.wavはオルゴール版とみています。

もう一度、kyaku2.wavを聞いてみましたが、ハイケンスの最後の部分の音が金属ではあり得ない延び方をしています。
金属の場合、あれほど振動するのでしょうか?
最後の音の延び方で、私は電子オルゴールと考えています。
なお「音飛び」は、アンプとの接続の関係かもしれません。




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