倶楽部メモ(47)
平成12年 5月27日〜 6月 7日


投稿者 さくら号
投稿日 05月27日(土)20時20分39秒
タイトル スハネフ14 1
本文 スハネフ14 1が「さくら」のマークをつけたまま保留車として長崎駅構内に痛々しい姿で
留置してあります。14系寝台トップナンバーは今後どうなるのでしょうか。
思い出せば,学生時代の4年間,東京と長崎の往復に30回以上乗った思いでの14系寝台車。
当時は3段寝台で食堂車オシ14では日本食堂長崎営業所で長崎名物ちゃんぽんが食べることが
できました。スハネフ14のディーゼル発電の騒音は20系寝台からすると結構うるさかったようです。
今は職場の前をオシ14もオロネ14もないの寝台特急「さくら」を毎日みては寂しくなります。
牽引機はやっぱりEF65P,ED73,DD51です。


投稿者 裏車両課
投稿日 05月27日(土)23時08分54秒
タイトル Re:スハネフ14 1
本文 JR-Qで働いている友人に問い合わせたところ、残念ながらスハネフ14−1は2休車(保留車)
であるためこのまま廃車になるみたいです。

投稿者 パソコン修理職人
投稿日 05月27日(土)23時35分49秒
タイトル 岩見沢の50系
本文

久しぶりの書き込みです。
今月の鉄道ファンを見ると、岩見沢運転所にオハフ51が保留車として残っているようですが、
まだ廃車されずに残っていたんですね。
何度か岩見沢を通っても51系客車なんて見かけなかったので、
廃車になったのかと思っていたのですが。
改造タネ車候補でしょうか。

私のホームページに客車鈍行のサイトを作りました。
最近まで走っていた客車鈍行等が中心の内容です。
興味のある方はどうぞ。

投稿者のホームページ


投稿者 多度津の住民
投稿日 05月28日(日)23時09分10秒
タイトル マロネ41 24
本文

1972年12月に宮原区でマロネ41 24を見ていますが、写真は撮っていません。
兎に角、深い屋根という印象がきつくて、塗色も憶えていません。すみません!
昭和25年名古屋日本車輌製、自重は43.6t、寝台数は24、所属区は大ミハ
マイネ41として誕生後の変遷は伊藤正宏さんの言われる通り、鉄ピク’85−6月号に
詳しく掲載されています。サイドビューも1番台、20番台共、写真解説入り。

鉄ピクのこの号’スハ43系特集’と’サイドビュー国鉄一般型客車・白井良和写真集’は
旧型客車ファンの小生にとってはバイブル的な2冊であります。


投稿者 伊藤正宏
投稿日 05月30日(火)20時50分13秒
タイトル マロネ41形の台車
本文

 Satokawaさん、こんにちは。

 鉄道ピクトリアル1990年7月号の86ページにマヤ43 2(旧マロネ41形)の台車の写真が掲載されていました。
トピックスのコーナーですので参考になるか分かりませんが、とりあえずご覧になっては如何でしょうか?

投稿者のホームページ

投稿者 Satokawa
投稿日 05月31日(水)13時17分20秒
タイトル マロネ41の資料
本文 伊藤様
情報有り難うございます。
いろいろと調べていたら、何故、マヤ43が桐生にいるのか疑問になりました。
国鉄末期の配置表を見ると、宮原と姫路にいるのです。
伊藤さんの写真も姫路で撮影されたとのこと。
なぜ、西日本にいた車両が東日本に‥‥??
それと、車体色が青であることは解ったのですが、帯付き・帯なし両方の
写真が有るのです。
車番ごとに違うのか???年代で違うのか???
ところで、模型を作る目的で調査していたのですが、灯台もと暗しでした。
模型誌RMMに、模型ですが床下器具配置の写真がばっちり、
車軸発電器2個使いであることもばっちり解る資料が有りました。
いろいろ、お騒がせしました。


投稿者 川村 徹
投稿日 05月31日(水)20時33分19秒
タイトル マヤ43について
本文 おじゃまします。久しぶりに来てみました。
マヤ43桐生にあるとのことですが 実際は高崎機関区構内です。
もともとは西日本にいたものですが国鉄時代末期に西日本・九州と東北地方から
保存のため高崎に回送されてきたうちの1両です。
その後集められた車両たちは様々な運命をたどっています。
動態・静態で保存された仲間も安泰とは言いがたい現状です。
今から8年前、それまでの試験車塗色から茶色に衣替えしぴかぴかの姿で
検修庫から引き出されてきたマヤ43が懐かしく思い出されます。


投稿者 伊藤正宏
投稿日 06月01日(木)20時40分04秒
タイトル 桐生にはマヤ43形はいなかったようです
本文

皆さま、こんにちは。

マヤ43形についてですが、私の勘違いだったようです。
川村さんの発言の通り、桐生にはマヤ43形はいなかったようです。
この冬に両毛線に乗ったときに桐生の電留線に番号不明の旧形客車が2両止まっていましたので、
その中の1両がマヤ43形とばっかり思っていました。
川村さんの発言がありましたので、「RAILFAN」1999年2月増刊号の保存車リストを
読み返したところ、桐生電留線の旧形客車はオハフ61形とオヤ10形(旧オロネ10)の2両でした。
申し訳ありませんでした。

ところで、高崎に集められた旧形客車のうち横川に保存されなかったオハフ61形、オヤ10形、
マヤ43形はどうなってしまうのでしょうか?また、高崎のスエ78形は何処にいるのでしょうか?
今度、何年かぶりに旧形客車を撮ってみたいと思っておりますので、、、

投稿者のホームページ


投稿者 パソコン修理職人
投稿日 06月03日(土)23時34分13秒
タイトル 北斗星1・2号のカニ
本文 自宅が東北本線の前と言うことで、毎日列車の音を聞いているのですが、
最近北斗星1・2号の電源車の走行音が変わりました。
今までの走行音と違って軽やかな音でボルスタレス台車のような感じの音でした。
暗いし約90キロの速度で通過しているので台車を見るのは難しいのですが、
もしかしたら電源車の台車が変わったのでしょうか。
投稿者のホームページ



投稿者 多度津の住民
投稿日 06月05日(月)09時30分19秒
タイトル カニ33 1
本文 カニで思い出しました。
1965-1969年頃の紀勢本線・白浜駅で見たカニ33 1。
その後、いろんな文献をあたっているのですが再会できません。
当時、小学生だったので、記憶違いかもしれませんが、
どなたか、ご教示いただけませんか?


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 06月06日(火)12時47分46秒
タイトル カニ33 1?
本文 多度津の住民さん、こん**は。
カニ33 1についてですが、私なりに資料を調べたのですが、
手持ちの資料では見あたりませんでした。
資料を見ると、昭和40年当時に存在していた「カニ」は、20系電源車を除くとカニ38だけ
ということになっています。(カニ38 1の1両のみの存在)
ちなみに、カニ38はマハネ29を改造した荷物車で、外見は切り妻で10系客車のような
構造・側面に大きな(2300mm幅)シャッター式側扉が5ヶ所・台車は3軸ボギー(TR71)
といったところが特徴です。
当時の配置は東シナですが、関西にも行っていたようです。
以上のような点から、このカニ38の見間違いの可能性はないでしょうか?


投稿者 南福電指令@本ミフ
投稿日 06月07日(水)12時12分10秒
タイトル 熊本の12系
本文

はじめまして

今、熊本運輸センターには12両の12系がいますが近いうちに全車廃車という話が出ています。
以前九州内に12系は大分や鹿児島にも配置されていたけど、
急行かいもん、日南、久大線普通列車の電車又は気動車化などで大半の車両が廃車になりました。
もしかすると今度の金光臨又はシュプール大山が最後の運用になるかもしれないと考えられます。
 
 それでは!!


投稿者 39696
投稿日 06月07日(水)20時38分44秒
タイトル 「からまつ」の編成?
本文 はじめまして札幌のNゲージャーです。
早速なんですが、実はわたしの小さい頃の思い出の列車を
模型で再現する計画で、「からまつ」の編成を訪ねて回っています。
どなたか分かる方おりましたら、ご一報ください、よろしくおねがいします。


投稿者 多度津の住民
投稿日 06月07日(水)22時05分53秒
タイトル カニ38 1?
本文 車掌さん自らご返答頂き有難うございます。
カニ38・・・今となっては確かめようがないのですが
珍車中の珍車を見たようですね。
”マニ”の換算両数は積4.5、空3.0ですから
”カニ”の換算両数は積5.0、空3.5といった所でしょうか
因みにマイテ49 2の自重は交通科学館に展示していた当時は46.9t、換算4.5
営業線に復活してからは42.1tに減量していますが換算両数は積4.5空4.0。
換算両数が5.0といいますと旧型国電のクモハ、モハ並みでかなりの重量級ですね。
さすがに3軸ボギー車です。タイムマシンがあるなら戻ってみたい時代ですね!



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