倶楽部メモ(45)
平成12年 5月 7日〜 5月13日

投稿者 急行高千穂
投稿日 05月07日(日)15時27分29秒
タイトル Re:国鉄客車の色帯
本文 スロ54さん。私のわかる範囲でお答えします。
まず、「ロ」の客車に白帯を巻いていたことはありません。
3等級制のころ1等は白帯、2等は青帯、3等は赤帯でした。
赤帯は昭和15年に廃止されています。
また、青帯は昭和41年(36年に訂正)から薄緑に変更され、グリーン車に引き継がれました。
白帯は戦後、進駐軍専用車と区別するためクリーム色に変更されましたが、
昭和35年、「つばめ」「はと」の電車化による1等車の廃止により消滅しました。
(ただし、実際は昭和31年から「青大将」塗装により、一般営業列車からは帯は消えていた。)
この1等廃止により、従来の2等は1等にそして後にグリーン車、A寝台車になり、
3等は2等に、そして、普通車へと変わっていきました。
つまり、スロ54などはもとの2等車ですので、当然青帯からグリーン帯へと変わったわけです。
また、スロ52ですが、グリーン帯は当然として、グリーンマークは改正当日は
間に合わない車両が結構あり、テレビでもその旨流れてたのを子供心に覚えてます。
ただし、これもすぐに変更されてますので、グリーンマーク付の姿でもおかしくないはずです。
なお、蛇足ながら青帯は途中で色が少し変更されてます。
それから、ご存じだとは思いますが、ロ、ハの記号はイ・ロ・ハから来ていて1等がイ、2等がロ、
3等がハだったことを思い出せば、ある程度理解できるでしょう。
以上、老婆心ながら何かのお役に立てば。
投稿者のホームページ


投稿者 スロ54
投稿日 05月07日(日)18時10分05秒
タイトル 急行高千穂様へ
本文 急行高千穂様、大変貴重な情報をいただき有難うございました。
実は今回私が悩んだきっかけは、参考にした鉄道ファン1995.8月号P54ページの写真と、
ビデオ「蒸気機関車時代」北海道編(上)での[C62重連急行まりも]でのスロ52の帯がどうしても白に見えるのです。
しかし、高千穂様の言われる事が正しければ年代的に写真や画像の変色によるものかもしれません。
現在他に悩んでいるのがスロ54 500番台の末期(帯無時)に外窓がサッシ化された車両が出現したのか、
屋根の色は銀色かねずみ色かでありまして、
今後も貴重な情報が有りましたらよろしくお願いいたします。



投稿者 水ミト
投稿日 05月07日(日)19時44分57秒
タイトル 帯色
本文

こんにちは。

>青帯は昭和41年から薄緑に変更され

昭和35年では?


投稿者 急行高千穂
投稿日 05月07日(日)21時22分19秒
タイトル ご指摘ありがとうございます。
本文 水ミトさん。ご指摘ありがとうございます。
昭和36年の誤りです。1961年を昭和41年と計算まちがいしたようです。
スロ54さんにもご迷惑をおかけしました。
なお、昭和35年とのご指摘ですが、手元の資料では36年となります。
ただし、これが正しいかどうかは他に資料がなく私にはわかりません。
しかし、昭和35年7月でしたかに2等級制になった後に生き残った旧マイテ39改めマロテ39が
青帯を巻いている写真が雑誌に載っていますので、少なくとも2等級制実施と同時では
なかったと思います。
なお、北海道型のことはよくわかりませんが、スロ54のアルミサッシは見たことがありません。
また、屋根の色は鋼板張りかカンバス張りかでも変わります。
スロ54は床下冷房車が初期に3両でしたか改造されましたが、低屋根化された車両は
鋼板張りではないのでしょうか。
とすれば銀色でもおかしくありません。
西日本のスロ54ではたぶん銀色だったような記憶がありますがはっきりしません。
いつも真っ黒だったような感じで・・・。
投稿者のホームページ


投稿者 水ミト
投稿日 05月08日(月)01時41分04秒
タイトル 1等表記の青帯&屋根色について
本文

こんにちは。

>手元の資料では36年となります。ただし、これが正し
>いかどうかは他に資料がなく私にはわかりません。

調べてみたところ、私の間違いでした。失礼しました。
昭和35年には、出入り口脇「1」表記の青帯車両が存在していました。
翌36年に、帯色が緑帯へ変更という変遷ですよね。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
あと屋根色なんですけど、オユ10とかスロ62とかは末期は屋根色が明るい灰色のが
存在していましたね。
20系なんかも末期は灰色だったと思うので、ある時期から色が変更になったのでしょうか?

ところで鋼板屋根=銀色というのは、定説なんですかね?

というのも、
例えば、35系や42系の鋼板屋根車はどうだったのか?とか
青大将の44系やはつかり44系は、本当に銀色なのか?とか
とても興味があります。


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 05月08日(月)18時44分57秒
タイトル 等級帯・車体色について
本文

等級帯の話題が出ていますが、この機会に昨年から何回か話題になった車体外部色
及び等級帯の変遷・等級制の変遷をまとめてみました。

明治30年11月
  等級制変更(上等・中等・下等 → 1等・2等・3等)にあわせて等級帯採用
  (1等車 → 白 ・ 2等車 → 青 ・ 3等車 → 赤)
    私鉄では前年(明治29年11月21日)関西鉄道にて実施
昭和15年2月11日〜
  3等車の赤帯廃止
戦後
  1等車の帯色変更 白 → クリーム (進駐軍専用車が白帯使用の為)
昭和30年7月1日
  1等寝台車廃止 (旧1等寝台→2等寝台A・B 旧2等寝台→2等寝台C)
昭和31年11月19日
  特急「つばめ」用客車(スハ44等)の塗色として淡緑5号登場
   (この塗色変更により1等車の帯が自然消滅)
昭和33年10月
  特急「あさかぜ」(20系)・特急「はつかり」(スハ44等)の塗色として青15号登場
昭和34年6月〜
  塗色変更 ぶどう色1号 → ぶどう色2号
昭和35年7月1日
  3等級制 → 2等級制 (旧1等車→格下げ・旧2等車→新1等車・旧3等車→新2等車)
昭和36年7月
  1等車の帯色変更 青 → 淡緑
昭和39年10月〜
  優等列車用客車を中心に塗色変更 ぶどう色2号 → 青15号
昭和44年5月10日
  モノクラス化(1等車→グリーン車・2等車→普通車・1等寝台→A寝台・2等寝台→B寝台)
国鉄末期
  等級帯廃止

といった状況だと思うのですが、文献によって多少違いがあるようなので、
おかしい点があればご指摘下さい。


投稿者 急行<さぬき>
投稿日 05月09日(火)23時36分59秒
タイトル <銀河>よ、きらめき失うな
本文 いつまでも14系の話ばかりして申し訳ありませんが、今思い出したことがあり、記します。
大阪に住んでいた95年のGWに、東京へ行くのに、最初は大垣夜行を計画していたところ、
鉄道とは無縁の友人に「急行<銀河82号>に乗ったらええやん」とすすめられ、
恥ずかしながらハッと気づいて、上京しました。
座席とはいえ、東海道の伝統の急行に乗れて、うれしい気持ちでいっぱいでした。
ちなみに車両は尾久(?)の14系で、どうやら<八甲田>の車両そのものだったようで、
シートも<八甲田>のアコモ改良シートでした。
ところで、ここ数年、この急行<銀河82号>の設定をまったく見かけなくなりました。
確かに輸送体系の変化について行けなかったのかもしれませんが、
私が乗った時は設定が見直されるほどすいていたとは思いませんし、
去年東京へ行った時、唯一の座席夜行<サンライズ>が発売日に取れず、往生しました。
急行<銀河82号>があれば・・、と思いました。
定期の<銀河>もここのところ元気があるように見えず、さみしく思います。


投稿者 あおぞら
投稿日 05月11日(木)01時27分41秒
タイトル 北陸の赤箱
本文

大和路環状線さん、レスありがとうございます。
私もいろいろと北陸線の古い写真などインターネットで見かけるたびに、
青や茶色の旧型客車が映っており、当時各地で幅をきかせていた
50系の写真は、この線区でみかけたことは今までありませんでした。

しかし、あるところにはやはりあったのですね。
七尾線の客車列車の写真は見たことなかったです(城端線の客車写真は見たことあります)。
何故休日の片道だけ北陸線内に設定されていたのか謎ですが、現在の時刻表を見ても、
これに近い時間帯に小松(大聖寺の4駅金沢寄り)から七尾へ直通する快速電車が残ってます。
何故大聖寺なんだろうと思ってみたら、地図で見ると大聖寺が大阪方からきて石川県最初の駅でした。
山陽線の上郡などと同じノリなんでしょうね。

でもなんだか、北陸線・・というよりEF81には青や茶の旧型車輛の混在が、
50系よりも似合っているような気がします。
ちなみに、奥羽・羽越の日本海沿岸では、50系の勢いはどうだったのでしょう? 
東北本線では、私も平成5年だかそれくらいに、一ノ関辺りで昼間の50系に乗ったことがあります
が、そのころは奥羽側はすでにロングシートのVVVF電車に置き換わってしまっていて、
すっかり客車の姿が見られなくなっていました。
どなたか日本海縦貫線の50系をご存じの方の書き込みをお待ちしております。


投稿者 青森県人
投稿日 05月11日(木)22時20分40秒
タイトル 奥羽線の50系
本文 奥羽線の50系(青森〜弘前は青森運転所の12系2000番台もあり)は
平成5年12月のダイヤ改正ですべて701系orDCに置き換えられました。
羽越線の50系はその前に撤退しています。
東北線は平成8年3月に最後まで盛岡〜青森に残っていた50系が
701系1000番台におきかえられて客車鈍行は消滅しました。
701におきかえられて時間的には短縮されましたが、
ロングシートで2両(McT'c)や3両(McTT'c)の短編成で走るので、
混雑して座れないことで不評だったことは記憶に新しいと思います。
夕方の青森発八戸方面の普通列車は特に混みます。
窓の開かない電車はつまらないです。
ED75 700番台に牽引される50系に窓を全開にして乗っていたころがなつかしいです。


投稿者 ぴかり
投稿日 05月12日(金)01時41分24秒
タイトル 車番標記の白点について質問
本文 はじめまして。
客車時代の福知山線などに興味を持って、模型(16番)作りなどしております。
模型の客車に車番インレタを入れるときにいつも気になっているのですが、実物写真で
「・オハ35 XXXXX」などのように形式の前に白点のあるものとないものとが(個体によって)あります。
今まで数年雑誌や資料を気を付けて見ていたのですが、残念ながらこれが何を意味するのか
言及している記事を見かけたことがありません。
近代化更新の意味かなどと推測してみるのですが…
どなたかご存知の方がおられましたら、ご教示願えれば幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。



投稿者 まき
投稿日 05月12日(金)04時04分43秒
タイトル 濁点の標記は…
本文 ぴかり様、質問にお答えしましょう。
 車両形式の前にある「・」は、「Gマーク」と呼ばれています。
これは今はなき信越本線・横川−軽井沢間を走行できる改造がなされている車両についているもので、
ブレーキの改良などがほどこされています。
 ついでに言いますと、同区間専用の緩急車ヨ3500形は
デッキ部の柱を白く塗り横軽専用車とわかるようにしてありました。
投稿者のホームページ


投稿者 かうる
投稿日 05月12日(金)06時53分30秒
タイトル はじめまして。
本文 はじめまして。
客車にひかれて鉄道ファンになった者です。
昔、あさかぜ4号(何故か、1号と同じなのに、4号)が大好きで、毎朝のように1号を見てました。
2、3号は、瀬戸と同じやつなので、当時はどうも平凡な気がして好きでなかったのですが、
ご存知、今となってはあさかぜにしか使われておらず、かなり貴重になってしまい、
電車で途中すれ違ったりすると、興奮します^^;
個人的な話になってしまいましたが、よろしければ、ぼくのホームページを見に来てください。
筑豊本線の客車列車とかがあります。
投稿者のホームページ


投稿者 ぴかり
投稿日 05月12日(金)21時31分43秒
タイトル Re: 濁点の標記は…
本文 まき様、はじめまして。
なるほど、そういう印でしたか。思いもつきませんでした。
ひょっとすると横軽対応によって床下装置が多少違ってくるということになりますね。
そちらも興味がありますので、その線で調べてみます。
大変有用なご教示どうもありがとうございました。


投稿者 多度津の住民
投稿日 05月13日(土)21時51分34秒
タイトル 横軽対策について
本文

ぴかりさん、横軽対策について1973年から1985年の間、調査した資料があります。
1.35系
  オハ35、オハフ33は施行車が多い
  スハ42は未施行車が多い、スハ40は施行車が多い、オハ36は半々

2.61系
  オハ61は未施行。オハフ61、オハニ36も未施行が多いが施行車の例を記す
  オハフ61 482、503(以上 福フチ)1518(天カメ)
  オハニ36 11(福フチ)
  スロ62、スロフ62は殆ど施行、スロ81、スロフ81は全車施行。
  スユニ60、スユニ61は未施行、マニ60、マニ61は半々。
  オハユニ61 62(金ツル)未施行。94(金ツル)、130(金トヤ)施行

3.43系、44系
  スハ44、スハフ43は殆ど未施行。
  スハ43、スハフ42、オハ46、オハフ45、オハ47、オハフ46の大部分施行。
  但し、四国管内で未施行車あり。以下 未施行車
  スハ43 275、399、400、オハ46 692
  オハ47 107、2277、2314
  スハフ42 78、2095
  スロ54は施行車多い。スユ42、スユ43は未施行。

4.その他
  マニ36、マニ37は半々。オハ41は未施行

以上のような結果です。
当時の福フチ、大ミハの旧型客車は概ね把握しておりますので、
不明な点はお問い合わせ下さい。



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