倶楽部メモ(34)
平成12年 2月11日〜 2月15日

投稿者 AK1219
投稿日 02月11日(金)02時28分56秒
タイトル 私の旧客体験
本文

旧客体験が盛り上がっていますね。
私は東北の出身のため、東北新幹線の開業まで、幹線系線区は旧客が当たり前、
という環境ですごしてきました。
当時はそのためか形式等には無関心だったため記憶が定かではないのですが、
今にして思えば、スハフ42、オハ35、オハ61が主流だったような気がします。
(ごくまれに小窓車もあったと記憶していますが。)
ローカル線区にはDCが投入されていてなぜ幹線系線区は旧客のままなのだろうと
子供心ながら不思議に思ったものです。
残念ながら、夜行乗車体験やグリーン車目撃体験はありません。
この頃旧客の一層に一役買っていた50系も早々と壊滅状態になってしまったのですから、
月日のたつのも早いものです。(50系自体があまりに短命すぎたということでしょうが。)

P.S.高崎の旧客の話は私も同じ掲示板だと思いますが目にしました。
    横川送りにでもなるのでしょうか。
    (そうだとするとEF55なども結構先行き危なそうですね。)


投稿者 大キト
投稿日 02月11日(金)12時55分22秒
タイトル さくら で長崎チャンポン
本文 らむ さんの書き込みで思い出が一つ、
博多〜佐世保・長崎へ立席と指定で「さくら」に乗れるので昔良く使いました、
長崎からの帰りに名物の長崎チャンポンを頂こうと発車早々食堂車へ行き、
ウエイトレスのお姉様から「もう少し待ってね」と言われ喫煙室で暇潰し、
相当餓えていると思われて車内放送前に案内されて有明の海を眺めながら頂きましたが、
食堂車へ行くのは「さくら」の時だけで、夜行で長崎に行く時は「手前弁当」を持参で
同乗の方々も弁当を用意してました、
鳥栖では深夜でも「駅そば」の販売をしていましたので冬でも胃袋を温めてもらいました、
最近は車内で弁当を開くのも人の目が気になるように成りましたが、
隣のおばちゃんから「おにぎり」をもらう様な旅情は過去の彼方でしょうか。
投稿者のホームページ


投稿者 くりす
投稿日 02月12日(土)13時26分22秒
タイトル 旧客で旅した〜い!
本文 どうも〜ぉ 皆さんはじめまして。
車掌(Webmaster ?)さ〜ん、いつも、懐かしくも貴重な情報をありがとうございま〜す。
旧客は四季を通じて良かったですよね。
春は窓を開けると桜の花びらが入って来たり、そして新緑のさわやかな匂い
夏はトンネルを通過するときの山の冷気、そして海岸沿いの路線を走るときの磯の香り
秋はきんもくせいの香りや、籾殻を燃やす香ばしい香り
冬は蒸気暖房の蒸気に曇る幻想的な車窓…
単線区間で列車待ちのときは車内は実に静か、そして走行中は轍を刻む音。
静寂と喧騒の見事なコントラストがあり、足下でコンプレッサの奇妙な音やモータや
エンジンの唸りはなく、とてもリラックスできました。
鉄道の旅は一昔前に比較すると本数も増えて到達時間も早くなりとても便利になりました。
でも、列車に乗って、ゆっくり本を読んだり、考えをまとめたりするには、
ちょっと落ち着けないモノになってしまいました。
私のような鉄道の使い方は、鉄道という交通手段としての使い方ではないので、
鉄道会社にとって当然、そのような不採算なモノは淘汰されていくのでしょうが、
生活空間に近い空間を持ちこめる交通手段は船舶か鉄道くらいしかありません。
カシオペアのように鉄道の旅を楽しむコンセプトの列車を、もっと増やして
大衆化させて欲しいものです。
豪華列車でなくても山手線や大阪環状線の昼間の閑散時間帯に車内を喫茶店とした
旧客を走らせると、結構な需要があったりするのではないかと思ったりします。
JRさん実現してくれないかなぁ…。
投稿者のホームページ


投稿者 秋田の旧客ファン
投稿日 02月13日(日)02時08分19秒
タイトル 私の旧客の思い出(秋田より)
本文

初めて投稿します。
私が小さい頃(昭和50年代)住んでいた所の最寄りの駅(奥羽線上飯島)には,
当時普通列車すら満足に止まらない駅でした。
ホームの長さが4両分しか無かったため,長編成の客車列車は停車せず,
秋田−男鹿往復の気動車(2〜5両編成だった)中心に停車していた物と思われます。
と言っても,例外もあって,2往復のみ客車列車が停車していました。
当時ですから,当然旧型客車です。
そのうちの1本(男鹿発秋田行き)を,毎朝見ながら小学校へ行っていました。
小学校の頃から,鉄道には興味があったのですが,今考えればなかなか珍しい車両も
あったように思えます。
牽引する機関車はDD51でしたが,当時その1号機が秋田に配置されており,
たまにこの列車を牽引することもありました。
また,客車は,スハ43・スハフ42・オハ35・オハフ33といった標準的な旧型客車が中心でしたが,
中には珍しい客車もありました。
確か1両ずつだったと思いますが,オハ41とオハニ36がたまにこの列車にはいることがあり,
それを見たときは,なんだか得をしたような気分になったものです。
オハ41(だったと思います)は,記憶が確かなら,戦前の2等車を格下げ改造した車両で,
車内はロングシートに改造していたはずです。
オハ35などよりも広い側窓が,当時小学生だった私にとって「かっこよく」見えたものです。
残念ながら,これには乗ったことはありませんでした。
オハニ36は,JR東日本や大井川鉄道に保存されている車両ですが,これには秋田まで
遊びに行くときやその帰りに何度か乗ったことがあります。
近代化改造等は行われておらず,背ずりの上部(木の部分)に席番号の小さな板が残っていました。
当然,照明も白熱灯でした。
オハニ36に関しては,秋田地区では珍しく2000番台ではありませんでした。
そもそもオハニ36には,2000番台は存在しなかったのかもしれません。
多分,今考えれば,秋田−男鹿の限定使用だったのではないでしょうか。
(男鹿線は非電化のため,客車は蒸気暖房)
また,なぜか編成の中頃にいつも連結されていました。
いずれにしても,当時はごく普通に見て,乗っていた旧型客車ですが,
今や秋田地区には当然ありません。
(JRになって以降数年間,秋アキにスハフ42が5両配置されていたが,
これも高崎や大井川に行ってしまいました)もはや701系の天下です。

今になって思えば「味がある」車たちでした。


投稿者 大和路環状線
投稿日 02月13日(日)15時51分41秒
タイトル 山陰関係
本文

こんにちは。山陰ネタの部分で少しレス(私の思い出)を・・・。

●あおぞらさん
>山陰の旧客は、「60年改正」前後で、大幅に本数が減った時に乗りました。もう
>すでに旧型客車は特別な存在になっていて、車内も餘部駅も旧客ファンで賑わっ
>ていたのを覚えています。

60年改正後、旧客フィーバーが本格化しましたね。
福知山のオハニ36も「郷愁求めて」というよりは、お祭り騒ぎのような色彩が濃くなってたような・・・。

そう、当時多かったのは、オハニ36に狙いを定めて夜行「だいせん」(20系)に乗り込むファンたち。
深夜の浜坂でゾロゾロ降りていく光景が印象的でした。
私を「鉄」と察知していた前のオバさんが、「ここで降りないの?」とわざわざ起こしてくれたのが
懐かしく思います。
(「せっかく寝ていたのに!」状態でしたが、僕もオハニ軍団の一人だと思い込まれたようです。(^^;;)

●スハフ42-2150さん
>京都発5:24浜田行

833レですね。所要時間は16時間10分で、59年2月ダイヤでは鈍行日本最長でしたか。
(距離は726レがトップ)
浜田発大阪行(726レ)や京都発米子行(835レ)と同様、60年3月改正まで走り続けた
昼行ランナーですが、今いちマイナーな存在だったように思います。

私も60年改正で廃止される3日前に乗る計画を立てました。
(わざわざ前日京都に旅館をとるという段取りで・・・。)
ところが、その後「この日、833レは既に50系客車に置き換えて運転」という情報をキャッチし、
涙を飲んで835レ(京都9:08発)に変更した思い出があります。


投稿者 あおぞら
投稿日 02月13日(日)22時14分48秒
タイトル 「大時刻表」発掘
本文

大和路環状線さんも山陰に行かれてたんですね。
オハニ36は私も行こうと思っていたのですが、すでに郷愁とは縁遠い
イベント列車みたいな状態になってしまっていて
(その様子を地元のTV局が報道してました)
乗るのに後込みしてしまいました(^^;)。

さて、あまりに懐かしかったので私の鉄道関係の宝箱をがさごそとかきまわしていたら、
1981年9月版、弘済出版「大時刻表」が発掘されました(笑)。JR時刻表となって
あの独特なサイズも消えてしまいましたが、中身はもっとなつかしい代物です。
改正タイミングとしては昭和56年10月改正で、改正目玉としては
・石勝線開通
・特急踊り子登場
・東船橋駅と幕張本郷駅が開業
とあります。

ここにも思いをはせた夜行客車鈍行や
長時間客車鈍行たちがたくさん載っています。()は所要時間
・門司港〜長崎 「ながさき」(8:00)
・和歌山市・天王寺〜名古屋「はやたま」(13:57)
・京都〜出雲市「山陰」(11:44)
・函館〜札幌 41レ(7:01)
・門司〜福知山 824レ(18:29)
・宮崎〜門司港 526レ(10:42)
・長岡〜米原 522レ(13:05)
・原ノ町〜青森 233レ(10:59)
・新津〜青森 833レ(14:02)
・旭川〜函館 121レ(13:33)
今ではこまぎれでモハやキハが往復している区間をぶっとおして、
10時間以上も走り抜ける(大半停車中なものも結構あるけど)列車が
こんなにあったなんて、今では夢みたいですね。

特に函館線の41/48レには、北海道へのあこがれとともに
「荷物列車に客車が<ついでに>くっついている」なんて変な列車
だったのが興味をひいて、ずっと乗りたかった列車でした。

ちなみにこの時刻表と一緒に、昭和49年4月10日改正の広島駅発車時刻表
なんてものも出てきました。つばめ・みどり・はとなんて名前が列挙されていますが、
この時代には地元の一般客にとってはずいぶん不便な国鉄だったようです。
普通列車よりも特急急行のほうが、圧倒的に多いんですから(^^;)。


投稿者 あおぞら
投稿日 02月13日(日)22時42分13秒
タイトル オハ41
本文

>秋田の旧客ファンさん
>オハ35などよりも広い側窓が・・・

これは私は雑誌でしか見たこと無かったのですが、
あの広い窓は何か圧倒されるものがありましたね。
ずっと何て形式なんだろうと思っていたのですが、オハ41と言う形式だったんですね。
どなたかこの形式の画像をお持ちでしたらご一報いただけたら幸いです。

それと、この機会にちょっと質問なのですが・・・・
昨年、関西地域のどこかのTV局で、ドリフの仲本工事(だったと思う)が主人公で
国鉄の車掌として登場するコメディー映画が放映されました。
もちろん古い作品です。
このなかで登場する列車が、ほとんど10系軽量客車で、オロネ10やオハネフ12
といったなつかしい車両がDD51に牽かれて何度も登場してました。
こんな映画をご覧になったことのある方いらっしゃいましたら、
タイトルをご教示いただけたら幸いです。
内容はどっかの会社の温泉慰安旅行がテーマだったようで、最後に
仲本工事の車掌さんがB寝台の女性客にでっかいキスマークをつけられて、
ラストシーンでいかにもな昭和40年代の客車急行が走り去って終わる
ってな感じのものでした。
曖昧な情報ですみませんが、これ見たことあるぞ!って思った方は
ぜひご一報ください(^^;)。


投稿者 倉科
投稿日 02月14日(月)00時52分44秒
タイトル はじめまして
本文

はじめまして、
なつかしい客車列車の写真、情報、音声など堪能させていただきました。
私は少年時代電車ばかりの鉄道環境いたせいか、客車列車に憧れて育ちました。
しかしながら、やっと自分で客車に乗って旅が出来る歳になったころには、
もう全国で客車の廃止が進み始めたころでありました。
このHPを見ていると、自分が乗りたくて乗れなかった列車(特に山陰など)の情報があり、
とても感動しました。
今後のホームページの更なるご発展をお祈りします。

また少ないながら、私のHPにもいくつかなつかしの客車列車の写真を公開していますので、
よろしかったらお立ちより下さい。

では、来場記念のご挨拶まで・・・

投稿者のホームページ


投稿者 大和路環状線
投稿日 02月14日(月)01時48分04秒
タイトル オハ41について(質問)
本文

「広窓のオハ41」って、興味ありますね。私も便乗質問をさせて頂こうと思います。(^^;
私は基本的に狭窓のオハ41しか知りませんでした。
とりあえず、車番と種車の関係は以下のようになっていますが・・・

スロ51改 →オハ41  351〜(23両)
スロ52改 →オハ41  401〜(14両)
スロフ53改→オハ41  451〜( 6両)
スロフ51改→オハ41  501〜( 2両)

スロフ51改→オハフ41  1〜( 3両)
スロフ53改→オハフ41 101〜( 1両)
スハフ42改→オハフ41 201〜( 3両

これら特ロ改造のもの(1000mm窓のスロフ53と、スハフ42改造のもの除く)は、
狭窓のはずです(昭和44年度〜改造車)。
しかし、初期(昭和39年度〜)に改造を受けた<並ロ改造バージョン>もあるらしく、
それが秋田の旧客ファンさんやあおぞらさんの仰っている、広窓オハ41なわけですね?
この並ロ改造バージョンについて、改造両数・改造後の車番の付与の仕方など、
どなたか詳しく教えて頂けませんでしょうか。

それにしても、バリエーションに富んだ形式。一度お目にかかってみたかったです。

<参考文献>
・『鉄道ピクトリアルNo.449(特集:スハ43系客車)』 1985年6月


投稿者 水ミト
投稿日 02月14日(月)02時00分18秒
タイトル オハ41補足
本文

ご無沙汰しています。オハ41補足ですが、

オロ36→オハ55→オハ41 1〜3
オロ40→オハ55→オハ41 51〜54(戦前型一般の丸屋根)
オロ40→オハ55→オハ41 101〜117(TR34付車)
オロ41→オハ51→オハ41 201〜204
オロ42→オハ53→オハ41 251〜255

です。広窓車なら、元オロ36か元オロ40あたりではないでしょうか?
あと、通勤車登場時、オハ412001〜オハ412011が昭和40年に盛岡工から出たのですが、
上記の対応表と一致しないので、一度改番が行われたと推測します。
手持ちの資料で判ればいいのですが、今の所見つかりませんでした。


投稿者 あおぞら
投稿日 02月14日(月)03時09分56秒
タイトル 私の記憶のオハ41
本文

水ミトさん情報ありがとうございます。

私の消えかけた記憶をたどると、どうもオハ55という形式が
その写真の形式だったような気がします。
つまり私が見たのはオハ41になる前の車輛だったわけですね。
その写真は雪に埋もれているオハ55であろう車輛のサイドビューを撮影したものでしたが、
窓がめちゃでかいというのと、55というなんだか謎に満ちた形式だったので、
印象に残っていたのでした。
背後には蒸機の白煙と雪景色が写っており、日本海筋のどこかだった
という程度の記憶もあります。

ううむ、、、種車がわかったところで模型化意欲が湧いてきました(笑)。

ちなみに、以前書いた高徳線の旧客の話ですが、
ロングシートの客車の隣にいたのは、旧特急車のスハフ43でした。
シートが独特のものだったのでなんとなく覚えてました。
でもシートがつぎはぎだらけで、あまりきれいな印象ありません。
このスハフ43とは、数年後にJR化するかしないかの頃、
高松駅付近で行われたDE10運転体験会の会場で再会することができました。
(写真展覧会の会場になってました)
DE10の運転自体は100m程度の距離を往復させてもらっただけですが、
あの客車を牽引してみたかったです。


投稿者 茂木茂
投稿日 02月14日(月)21時25分14秒
タイトル 旧客ばかりが客レじゃない
本文 初めまして。客レに魅せられて、はや14年になる者です。
旧客に出会ったのは中学1年の3月でした。山陰地方を東奔西走、朝から晩まで旧客でした。
昭和61年10月その山陰地方の旧客にも引導が渡され、興味は50系客車に移ってゆきました。
平成11年12月には最後の砦、久大本線の客レも姿を消し、
昼行で客車に乗れるのも、筑豊本線と海峡線になってしまいました。
客レの醍醐味は、やはり引き出しの時でしょう。
この運転士はどうだろうか、などと構えてしまい、
上手に引き出せたときには、心の中で拍手を送っています。
停止の時も、単弁で連結器間を詰めておいてから自弁で制動をかける人に出会った時なんて、
もううれしくてたまりません。
そして、止まってからしばらく後におとずれる静粛。
客車列車ならではないでしょうか。
こんな楽しみ方もいかがなものでしょうか。


投稿者 車掌@仙コリ
投稿日 02月15日(火)08時38分09秒
タイトル オハ41について
本文

皆様こん**は。
オハ41についての話題で盛り上がっているようですね。
図面を調べたところ、窓の寸法も記載されていましたので少々補足を
 オロ36→オハ55→オハ41  1〜 3 広窓 1300mm
 オロ40→オハ55→オハ41 51〜 54 広窓 1200mm
 オロ40→オハ55→オハ41 101〜114 広窓 1200mm
 オロ41→オハ51→オハ41 201〜204 狭窓 700mm
 オロ42→オハ53→オハ41 251〜255 狭窓 700mm
 オロ35→オハ53→オハ41 301〜311 狭窓 700mm
(スロ51→オハ55→オハ41 351〜373 狭窓 700mm) 誤→後日訂正
(スロ52→オハ55→オハ41 401〜414 狭窓 700mm) 誤→後日訂正

    スロフ53→オハ41 451〜456 広窓 1000mm

といった所ですが、あくまでも改造初期の番号なので、水ミトさんのおっしゃるように、
後の増備車及び改番後については?です。
参考までに広窓である若番車は、ほとんどが仙台・秋田を中心とした東北地区に配置
されていたようで、一部鹿児島を中心に九州地区にも配置されていたようです。

参考文献:鋼製客車形式図集2 鉄道史資料保存会編


投稿者 大キト
投稿日 02月15日(火)23時21分50秒
タイトル オハ41画像
本文 車掌さんまいど、豊永さんの オハ41の画像10枚程在りました、
オハフ41も3枚程在りましたので、来週の水曜日に
豊永泰太郎鉄道画像室に掲示しておきます。
投稿者のホームページ



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