倶楽部メモ(33)
平成12年 2月 4日〜 2月11日


投稿者 はやたま
投稿日 02月04日(金)22時28分22秒
タイトル 「山陰」より「はやたま」
本文 初めて、投稿します。
よく客車の普通夜行のことで「山陰」を取り上げられていますが、「はやたま」を忘れては行けません。
天王寺駅9番ホーム(通常は降車ホーム)にゆっくり入線。
スカイブルーの103系ばかりの昼間とはちょっと違った雰囲気をかもし出していた旧客。
阪和線沿線の住民の思いでのひとこまでした。


投稿者 車掌
投稿日 02月05日(土)19時41分29秒
タイトル RE:「山陰」より「はやたま」
本文 はやたまさん、こん**は。
「はやたま」や「山陰」等の最後まで残った旧客の夜行列車は、夜汽車と呼ぶのに
ふさわしい雰囲気を持った最後の列車でしたね。
けっして「はやたま」を軽視しているつもりはないのですが、管理人である私が、
残念ながら「山陰」にしか乗車経験がないため、「山陰」にかたよった発言に
なってしまっているかもしれません。
前述の通り、私も大好きな列車達なので、これからもはやたまさんの「はやたま」
についての思いでなどを書き込んでいただけるとうれしく思います。


投稿者 足袋助@大キト
投稿日 02月05日(土)23時49分52秒
タイトル そう云えば・・・
本文 そう云えば、山陰線に昼行の長距離があったですよね、天ナラさん御存知でしょう
門司から米子へ出て、列車番号を変えて京都まで出てくるやつ、
夜行は寝台車の発券で名称が付いたけど、昼行の長距離は名無しで勤めを終えましたね、
ジョイントの響きが懐かしいですね〜 
今日は10号車から1号車へ移動して、久々に車掌さんのサウンドコレクションに浸って眠りましょう、
乗客の皆さんの客車列車の思いでカキコして頂戴!。
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投稿者 平松 真一
投稿日 02月06日(日)12時02分51秒
タイトル 夜行客車列車
本文

夜行客車には何本かのりました。

北から順番に

「からまつ」 
SL撮影のときにお世話になりました。
ハネを2両連結していました。 
なぜ、「からまつ」かというと釧路−札幌は「狩勝」は寝台主体で、
座席車も2両しかついていず指定席だったような気がするんですが。
当時、学生だった私には寝台はあまり利用できずにということでした。
夜にのどがかわいて、ハネの給水機まで水を飲みにいったんですが、
車掌さんが起きていて、「寝台券」ですかといわれて、困ったことがありました。
夏に札幌からのったときは多分、狩勝付近とおもいますがとても冷え込んで
夏にもかかわらず暖房をいれたことがありました。 
寒さで目がさめたんですが、ほどなくSGが投入され暖かくなりはじめて、
釧路までぐっすり眠れました。
こういう話を書くと長くなりますので、「山陰」「紀勢東線夜行」はまたあとで。

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投稿者 大和路環状線
投稿日 02月06日(日)16時47分02秒
タイトル 旧型客車との付き合い
本文

こんにちわ。大和路環状線@天ナラです。

足袋助@大キトさん
>門司から米子へ出て、列車番号を変えて京都まで出てくるやつ

「山陰」の前身ですね。元々は1等・2等の座席のみで編成されていたようで・・・。
車掌さんの書き込み(昨年10月31日)によりますと、昭和43年10月改正で
寝台付き普通列車に仲間入りしたようですね。
山陰本線にはもう一つ、「浜田・大社〜大阪」という普通夜行があったようですが、
こちらの方が、より昔から寝台車付き(ロネ・ハネ)だったそうで・・・。

あっ、以上は前にも書いたことでした・・・。(^^;;

私は小5の時に旧型客車に魅せられたのですが、その時既に寝台車付き普通列車は
「山陰」だけでした。(しかも座席は12系・・・)
だから、資料を通した「知識」としての蓄積しかないのがすごく淋しく、
平松さんのような実際の乗車体験を聞くにつれ、羨ましくなってしまいます。

旧型客車との付き合いは、わずか2年半。
その途中に行われた「昭和60年3月14日改正」から、まもなく15年を迎えます。
この改正は、全国の旧客に大ナタが振るわれた改正で、私の心に最も強く
焼き付いているダイヤ改正です。

趣旨から少しズレたかも知れません。お許しを・・・。m(_)m


投稿者 大和路環状線
投稿日 02月07日(月)16時04分40秒
タイトル 客車列車の思い出
本文

昨日の投稿、少ししんみりしてしまい失礼しました。
ということで、私も客車列車の思い出を少し書かせて頂こうと思います。
(連続投稿で申し訳ありません。)

●福知山線739レ:大阪発福知山行(旧型:昭和59年5月)

初めて乗った旧型客車列車。
大阪15:14発(荷物車付き)。
スハ43(大ミハ)の重厚な味わい。
ローカル線的風情の漂う生瀬で降り、446レで大阪まで引き返す。
446レではニス塗り車(スハ42・福フチ)に初乗車。

●山陰本線835レ:京都発米子行(旧型:昭和60年3月)

山陰の魅力、鈍行の旅の魅力を心底から知った列車。
(と言っても、竹野で大阪行の726レに乗り換え、日帰りで引き返したのですが・・・)
京都から竹野まで5時間半かかりました。

<米ハマ車(6)+福フチ付属車(2)>で組成された通勤客満載の「園部発京都行(326レ)」が、
そのまま山陰へ戻っていく運用で、オハフ33 426、オハフ33 377、オハ35 1109、オハフ33 286
といったニス塗り車の車号を思い出します。

●函館本線128レ:札幌発函館行(旧型:昭和60年8月)

札幌〜函館に9時間半を要する客レ。
スハフ44 2に乗車。
北海道の旧客(43系)はどことなく小綺麗で、車両的にはあまり印象に残っていない。

三菱石炭鉱業の客車にも乗ったが、3軸ボギーのスハニ1に乗れず、残念。
でも、この旅で最も感動したのは、仙コリで初めて見たオハフ61(廃車)だったりする。(^^;;

●福知山線・山陰本線721レ:大阪発出雲市行(12系:昭和61年1月)

「最長距離鈍行」の地位を客レが押さえた最後の列車。
初めて訪れる鳥取・出雲方面に対する胸踊る気持ち。
初めて見る山陰の海。
色んな期待が凝縮する大阪駅でのひとときが忘れられない。
ちなみに、中学の卒業文集はこの列車の完乗記(原稿用紙39枚)でした。(爆)

●急行「八甲田」:青森発上野行(14系:平成4年11月)

10代最後の日に奥羽・五能線・津軽鉄道の客車を堪能。
芦野公園に保存のオハ31や太宰の「斜陽館」も見学。
そして、20歳の誕生日を上野に戻る「八甲田」の車内で迎えました。
その時飲んだ黒石の地酒カップ(グラス)は、今でも大事に持っています。

以上、思い出話を長々とすみません・・・。


投稿者 大キト
投稿日 02月07日(月)16時16分33秒
タイトル 蒸気暖房か〜
本文 平松さんの記事の蒸気暖房の件、そう言えば忘れてました、
蒸気暖房独特の雰囲気はもう味わえないのですね、
筑肥線で通学していた頃客車列車が一往復あって、乗車率が高いものだから窓が直ぐに曇り、
居眠りをしながら乗る人は窓に頭をつけられず苦労してました、
寒いので乗客が勝手に通風器を操作するので、乗車すると煙草の煙で
スモークがかかった車内に朝日が射して、窓はスリガラス状態で
消毒液の匂いも混ざって不衛生でしたが、忘れられない情景です、
東北方面の寒さに比べれば可愛いものですが、
東北・北海道の通勤通学者はどのような車内風景を見たのでしょうか、
みなさん語り合いましょう。
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投稿者 平松 真一
投稿日 02月07日(月)19時50分20秒
タイトル 夜行客車列車 その2
本文

紀勢本線の夜行普通列車は「南紀〜はやたま」が有名でした。
実は、私は夜行には乗っていなくて、ハネを切り落とした921レや924レにはのったんですが。
それも「名古屋〜亀山」とか
それと、亀山−下庄でDF50の客レを撮りに行くと、よく出会いましたし。
DF50が重連で牽引してきたのを覚えています。
また、名古屋から夜行の「紀州 キハ58」にのって新宮に到着すると、
そこには「南紀」をひいたDF50が交換待ちをしていたので、あわててバルブをしました。
ただ、ハネは切り落としたあとで、残念。
しかも、写真は露光が足りずDF50のヘッドライトと客車のシルエットが僅かに見られる程度でした。

「山陰」は松江で学会があったので、旅費を浮かせるために乗りました。
その列車は、とても混んでいて床に寝たという記憶があります。
私は終点までのって、そこから田儀まで行って写真を撮りに行ったという不真面目な学生でした。

客車列車は、年をとっているせいかたくさん乗りました。
書ききれないくらいあります。
東北地方は、客車列車の宝庫で、幹線筋は電気暖房で地方線は蒸気暖房でした。

中でも、磐越西線は電化区間と非電化区間があります。
確か、磐梯町あたりで、新津行きの普通列車に乗り込みました。
寒さに震えながら列車がくるのをまっていると、雪にまみれたED77が入ってきます。
ELですから、当然電気暖房で、これが結構熱いですよね、
それと熱線をあたためるわけですからあの独特の匂いが強烈でした。
疲労と暖かさで、ときには瞬間熟睡をしてしまいます。
そのうちに、会津若松に到着すると、今度はDD51と交代です。
蒸気暖房に変わると、シューという音が聞こえてきます。
SGは蒸気ですから、列車後方ですと温度が下がってきて、暖房の効果がさがってきます。
会津若松では、列車方向がかわりますから最前部にのっていたら慌てて
さっきとは逆方向へ移動したものです。
電気暖房のときは、さほど曇らなかったんですが、SGになるととたんに曇りはじめます。
このあたりが、とても面白かったですね。

では、また

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投稿者 らむ
投稿日 02月09日(水)11時40分18秒
タイトル 皆様うらやましいです
本文

はじめまして。初の投稿になります(mom)

皆さん客車列車に沢山乗られてるようで、うらやましいです。

私なんて興味を持ち始めたのが、つい最近の事なので客車列車に関しては
現在の寝台列車(客車)と、九州の久大線、筑豊線の客車列車しか知りません。
情けないかな、もう少し前から興味を持っていれば、東北の客車列車に乗れてた
と思うのですが。。。。。(;_;)
また、最近興味を持ったばかりなので、蒸気暖房すら見たことありません(^^;

今一番乗りたいのが、20系客車寝台です。
一度営業中の20系寝台に乗ってみたかったです。
また、沢山在籍していた旧型客車列車(全部)にも乗りたかったです。
扉のないデッキに立ち、餘部の鉄橋を渡ってみたかったです。
また、オロネ10等の当時の豪華寝台に乗ったり、当時の食堂車も利用してみたかったです。
客車ではありませんが、DF50も、営業中のものを見てみたかったです。
特に「富士」を牽引中のものを。
#「さくら」の食堂車で”長崎ちゃんぽん”を食べてみたかったです。
#実現しないまま、終わってしまいました。。。。。

なんだか支離滅裂ですね(^^;;

新型電車には興味が持てず、興味を持つものと言えば客車ばかりです。
客車の魅力は一言では言えませんが、独特の静かさと走行音によさを感じます。
当時の客車や列車旅の話しを、もっと聞かせて下さい(mom)
何も知らない私(只今修行中)ですが、どうぞよろしくお願い致します(mom)


投稿者 あおぞら
投稿日 02月10日(木)01時23分56秒
タイトル 旧型客車の思いで
本文

初めまして。今年30になった旧型客車ファンのあおぞらといいます。
現在は大阪環状線沿線ですが地元は宇野線宇野駅の近所でした。
旧客の思い出を・・の呼びかけの掲示に、思わず乗車させていただきました。
これからも定期的に乗車させていただきますので、未熟者ですがよろしくお願いいたします。

この正月に筑豊本線の50系に乗りに、ふるさとライナー九州に乗って行ってきました。
自由席は12系2両で、指定席の14系桃色塗装のものとは思い切り格差のあるもので、
一般客ははずれくじをひいたような表情でしたが、いまどき12系に乗ることさえ
ままならない状況で、密かに嬉しかったですね。
お目当ての50系2630レには折尾からキハを乗り継いでたどり着いた筑前植木駅で会えました。
沿線には早朝からカメラを抱えた方がちらほらといて、いよいよこんな列車も「特別な」もの
になってしまったのかと感慨深いものがありました。
門司港駅舎をバックに機回しを撮影し、50系に別れを告げました。

さて、私の旧客の思い出といえば、高校生の時に餘部訪問時に乗った山陰の旧客と
幼い頃に乗った四国の旧客です。
山陰の旧客は、「60年改正」前後で、大幅に本数が減った時に乗りました。
もうすでに旧型客車は特別な存在になっていて、車内も餘部駅も旧客ファンで
賑わっていたのを覚えています。
これには餘部〜鳥取間に乗車しました。

四国の客車はまだ私が幼い頃で、50系が登場するかしないかの頃です。
実家のすぐ近所の宇野桟橋から宇高連絡船に乗り、高松で人の波を吸い込んでいく
気動車特急の陰にかくれてひっそりと、その旧客は止まっていました。
引田の親戚の家に遊びに行くときだったようですから、高徳本線ですね。
車内は一面のロングシートで、車内は閑散としていて、終点まで横になって寝ていたようでした。
機関車はオレンジ色の四角いのだったような気がしますが、あまり釈然としません。
DF50だったとしたら貴重な体験をしたようです。

長くなりましたので続きはまた次の乗車で(^^)。


投稿者 スハフ42-2150
投稿日 02月10日(木)12時41分38秒
タイトル 旧客鈍行オルゴール
本文

はじめまして。
私もかつて旧客鈍行に乗車し(山陰本線が中心)方々旅行していた一人です。
昭和55年〜59年頃、京都発5:24浜田行・9:08出雲市行・22:05「山陰号」出雲市行等をよく利用し、
山陰本線保津峡沿線の光景、 地方地域の町並みの風景や人情の暖かさを肌で感じた事を
思い出します。
旧型客車乗車中、主な駅の発車時到着前時には、旧客独特の味のあるオルゴールを
耳にした覚えがあります。
つくづく「あ〜旅行してるんやなー」とあの音色に譜け込んでいました。
20年近く前の話ですが・・・・

もう一つ、今頃(冬期期間)は、各車輌からスチームが外に上がり好奇心で、
そのスチームに鼻を近づけ匂いを吸った記憶があります。
皆さん、風邪には十分注意して下さい。


投稿者 客車好き電車嫌い人間
投稿日 02月10日(木)18時12分26秒
タイトル 冬の客車
本文 蒸気暖房で思い出したのですが、冬に上野口に到着する従来客車で、
入口の窓ガラスが割れたり(誰かがスキー板をぶつけた?)水道管が破裂したりして
「尾久駅に到着の上は、尾久客貨車(支)区・運転区に回送」
という紙を差した車両をよく見かけました。
なかには「管破裂」なんて解説してあるものまでありました。
今では電話や電子メールでやり取りしたほうが早いのでしょうが、
情報過多になる前の良き時代ですね。
この紙の表現は深みがあり、駅区境界線を考えないと理解できない。
数十年前に、京浜東北線の田端上中里間で、50過ぎの人が孫に
「あ、尾久駅が見えるよ」と言っていたので、この人は国鉄関係者だ、思いました。
鉄道ファンだったら「尾久客車区が見えるよ」と言いますよね。


投稿者 とび色3号
投稿日 02月11日(金)00時18分35秒
タイトル 旧客の思い出は…
本文

みなさん、はじめまして。 とび色3号と申します。

私の旧型客車の思い出は幼少の頃に乗った国鉄・清水港線の混合列車です。
うちが清水駅のすぐ近くなので、毎日のように清水港線の列車を見てました。
初めて乗ったのは昭和57年頃、幼稚園の時です。
DD13牽引の混合列車に三保駅から乗りました。
その後も何回か乗ったのを覚えてますが、幼少時の記憶なので何回乗ったかは?です。
同線は昭和59年に廃止になり、5両いた旧客は3両が大井川鉄道に・2両が保存されました。
国鉄で現役の旧客に乗ったのはこの線だけです。みなさんが羨ましいです。

他の掲示板で高崎の旧客が3月で全廃とあったんですが本当なのでしょうか?

投稿者のホームページ


投稿者 安田 真紀
投稿日 02月11日(金)01時07分58秒
タイトル ときわの旧客
本文 私の旧型客車の思い出は幼稚園のころの常磐線でした。
駅を発着するたびにガクン!という衝撃音がすごくて
動いていない時は細心の注意を払ったものでした。
いまとなっては楽しい思い出。
投稿者のホームページ



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