倶楽部メモ(25)
平成11年10月21日〜11月 3日

投稿者 奥山 道紀
投稿日 10月21日(木)22時13分46秒
タイトル 三菱大夕張・客車保存「電子署名」締切り迫る
本文 先にもお願いしましたが、夕張市南部の南大夕張駅跡に置かれた
三菱大夕張鉄道の車両保存を求める署名ですが
今月末にも締め切り11月中には夕張市内で集めた署名と共に
「夕張市長」「夕張市議会議長」「夕張市教育長」あてに提出する予定です。
これらの車両の中には3軸ボギー客車「スハニ6」号など貴重な車両もあり、
署名がまだの方がいましたら下記URLで受付中ですのでよろしくお願いします。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/5963/syomei.html
また、11月7日に夕張市南部の「南部コミュニティセンター」でビデオなどを利用し
「三菱大夕張鉄道」の勉強会をします。
引き続き、午後から積雪に備え客車のシート掛けを行います。
当日、飛び入り参加大歓迎です。


投稿者 奥山 道紀
投稿日 10月21日(木)22時19分20秒
タイトル 三菱大夕張鉄道保存会について
本文 先の投稿にありました「三菱大夕張鉄道保存会」でホームページを開設しています。
「電子署名」の参考にしていただければと存じます。
投稿者のホームページ


投稿者 大和路環状線
投稿日 10月22日(金)03時02分21秒
タイトル 急行「瀬戸」と14系寝台
本文 今、チラッと本をひも解いていたんですが、
14系寝台客車って特急ではなく急行で初デビューしたんですね。驚きです。
(有名なことなのかも知れませんが・・・。(^^;)
昭和46年10月改正の折、急行「瀬戸2・1号」(東京〜宇野)で試験運用が行われたとのこと。
(特急運用の開始は翌47年3月10日)

←宇野
荷物車−オロネ10−スロ54−オハネ14−オハネ14−オハネ14−スハネフ14−オシ17−
スハ43−スハ43−スハ43−スハフ42−スハ43−スハフ42

で、編成中にはスロ54も入っています。
正統派とは言えませんが、先日急行比叡さんが質問されていた
スハ43系の編成例の参考になったりするかしら・・・。(^^;;;
一種異様ではあるものの、模型で再現するのも面白そうです。

<参考文献>
・『デジタル版国鉄特急編成史・機関車客車編』(弘済出版社)


投稿者 水ミト
投稿日 10月22日(金)19時24分25秒
タイトル オハニ36のコンセント
本文 こんにちは。
RMを見ていて、気づいたのですが...
高崎のオハニ36の荷物室側妻面に、コンセントのふたがついていて、
あれなんだろうとずっと思っていたのですが、
どうやら「特急時代に使用していた電照式テールマーク」の物のようです。
なんでこんな事いまさらと言われてしまいそうですが、
私にとっては大発見だったのでした...(汗)


投稿者 221レ
投稿日 10月24日(日)13時10分41秒
タイトル 高タカの旧客便所改造車は?
本文 こんにちは。
はじめて投稿します。
昨日、旧客のSL奥利根号にのってきました。
スハフ422071オハ472239オハ472266オハフ332555+12系でした。
確かパレオEXPには垂流し便所を改造したスハフ42が1両あったと思いましたが、
垂流しでなくした便所を持つ旧客はほかにあるのでしょうか?
せっかく旧客で走っているのに+12系(便所用車両?)はちょっとしらけますね?
以前、八高線でD51が旧客を牽いた日
パレオも走ってたから2両あるのかと思ってましたが・・・
また今回スハフ32の連結がなかったのが残念です。
どこに行ってしまったのでしょう?
高崎では見かけませんでした。
なお、昔常磐線でお世話になった上野発仙台行きの鈍行の列車番号を
名前として使わせてもらいます。
しかし、旧客の座席、久々に乗ったら狭く感じました。
でもやっぱり旧客っていいですね。
それでは。


投稿者 水ミト
投稿日 10月24日(日)20時03分21秒
タイトル 便所
本文 洋式便所改造車はスハフ42 2173だけです。

一時期多発した、レトロトレイン系で12系を連結しだしたのは、
平成8年10月12日のレトロトレインときわ号からです。
それまでのレトロトレインは12系はついていませんでした。

黄害という言葉も私語になりつつあると思いますが、
実際たれながしというのは前世代的なのでしょう。
沿線の住宅も多くなってきましたし。


投稿者 大和路環状線
投稿日 10月25日(月)09時03分25秒
タイトル JR西にも旧客います。が、
本文 >せっかく旧客で走っているのに+12系(便所用車両?)はちょっとしらけますね?

JR西日本でも保存旧客(3両+マイテ)が在籍しますが、
あまり仕事をしていない印象を受けます。
SL列車の運転もそれなりに力を入れているものの、12系フル編成や
いわく付きの「レトロ<風>客車」が幅を利かせますので、
旧客に関してはJR東日本が羨ましく思います。
(トイレ工事は望ましいでしょうが、でも全体的に旧客独特の
「野性味」は薄まってきているのでしょうか・・・。)

その代わり、JR西は(イベント用の客車ではなく)まさに今現役のEC・DCにおける
中古車「保存活動」に熱心という説もあり(爆)、嬉しいやら悲しいやら・・・。


投稿者 大和路環状線
投稿日 10月30日(土)00時48分40秒
タイトル 寝台付き普通列車(質問)
本文 基本的な質問になりますが・・・
大昔においては、普通列車に2等車を連結するというのはかなり一般的だったと思いますが、
寝台車の連結はどうなのでしょうか?

私が知っているのは、有名な「からまつ」「はやたま」「山陰」「ながさき」ぐらいです。
これらは比較的遅くまで残存していたために、
愛称付きかつ希少価値があるという点で有名な存在となり得たわけですが、
もっと遡れば寝台付き鈍行はそう珍しくなかったのかな?と思ったりしたもので・・・。

・寝台付き鈍行はいつ頃からあったのか。
・例えばどんな(区間の)列車に連結されていたか。
・車両はどのようなものだったか。(&優等寝台車の連結は?)
・上に挙げた愛称付き鈍行は、いつから10系寝台車に改められたか。
・その他のエピソード等々

このような観点でどなたか教えて下さい。
断片情報でも全然構いませんので、よろしくお願いします。
(急行の末端格下げなどはナシとします。(^^;;)


投稿者 221レ
投稿日 10月30日(土)08時56分14秒
タイトル ドリームにちりんは快速宮崎
本文 こんにちは
さて寝台付き普通列車の件ですが
今のドリームにちりんの前身はなんと夜行普通列車です。
43.10のころは名もありませんが、宮崎電化のころは快速みやざきと名乗り
たしか寝台がついていたと思いました。
(今、手元に時刻表がありませんが)
50.3で急行日南に格上げその後特急になって現在に至ります。
つまり快速ながさきの仲間といえるでしょう。
ただながざきを急行にするには区間が短すぎたのでしょう。
その他九州には肥薩線回りの鈍行などがあったはずですが寝台は付いていなかったと思います。
郵便や荷物列車があった頃は全国に夜行快速があったのですけど…
ちなみに「みやざきくずれ」と呼ばれる寝台をはずした客レは
C57などが牽引し西鹿児島まで走ったので多くの写真が残っているはずです。
SLの関連のHPで見たことがあります。
私はそのころ小さかったので撮りに行けませんでしたが…
寝台はそのころは10系のはずです。
それでは。


投稿者 AK1219
投稿日 10月30日(土)23時55分09秒
タイトル 寝台付き普通列車
本文 大和路環状線さん。こんにちは。
最近出た時刻表復刻版で確認しましたが、寝台付き普通列車は
○31年11月号にはなし。
○33年11月号では小樽-釧路間(のちの「からまつ」)のみ
○39年9月号では門司港-長崎間(のちの「ながさき」)と日豊線経由門司港-西鹿児島間
となっており、42年9月号でも39年9月号と全く同じ状況です。
車種については不明です。
ちなみに、急行くずれも39年9月号で「大和」(関西線経由東京−湊町間)と分割併合する
和歌山線経由王寺-和歌山市間の列車がある程度のようです。
これらの列車にはいずれも愛称がありません。(43.10でもないのだからあたりまえか。)
のちの「はやたま」「山陰」に相当する列車には2(1)等車は連結されていますが、
寝台車は連結されていないようです。
(ざっと繰ってみただけですので見落としがあるかもしれません。)
昔はかなり夜行急行が走っていましたから、寝台付き列車としては、やはり、そちらの方が
一般的だったのではないでしょうか。


投稿者 車掌
投稿日 10月31日(日)21時47分50秒
タイトル 寝台付き普通列車
本文 寝台付き普通列車の件ですが、たいへんおもしろい話題ですね。
昭和40年代前後の状況については、AK1219さんの書き込みの通りですが
多少補足いたしますと、

昭和42年10月時点では門司港−長崎・門司港−西鹿児島間の2往復で
共にオハネ12を1両連結していたようです。

昭和43年10月改正(いわゆるヨンサントオ)で5往復に増えまして
函館・根室本線 423・ 424列車(後の「からまつ」)
関西・紀勢本線 921・ 926列車(後の「南紀」→「はやたま」)
山陰本線    829・ 826列車(後の「山陰」)
長崎・佐世保線 1421・1422列車(後の「ながさき」)
日豊本線    521・ 522列車(後の急行「日南」?)
以上の5往復で、昭和51年3月にB寝台のマルス組み込みのため愛称がつき、
すべて10系寝台車(オハネ12・オハネフ12・スハネ16)を連結していたようです。

それ以前の状況を調べると、
後に「ながさき」となる門司港−長崎間の列車に寝台車が連結されたのは昭和39年4月からで、
当時はスハネ30が連結されていたという話も聞いたことがあります。
さらに戦前までさかのぼりますと、ロネ(二等寝台車)はもちろんイネ(一等寝台車)まで
連結されていた時代もあったようです。
ただ、当時は急行列車等は特別な存在であって、各地に長距離夜行普通列車が多数
存在していたようなので、この話題での寝台付き鈍行といえるかは?です。

参考文献:鉄道ピクトリアル 昭和42年10月号
     鉄道ジャーナル  昭和51年 9月号


投稿者 大和路環状線
投稿日 11月01日(月)23時24分13秒
タイトル 寝台付き普通列車(お礼)
本文 221レさん、AK1219さん、車掌さん、こんばんは。
早速様々な情報を提供して頂き、大変に感謝しております。(^^)
またレスが長くなってしまいました。どうかお許しを・・・。

●221レさん
>今のドリームにちりんの前身はなんと夜行普通列車です。
ご指摘を通して、そういう列車があったことを思い出しました。(相当久々に)
どうも有り難うございます。危うくおぼろげな記憶が眠り続けるところでした。(笑)
かつての寝台付き鈍行の中では最も発展的に継承されていて、頼もしいですね。

>43.10のころは名もありませんが、宮崎電化のころは快速みやざきと名乗
>りたしか寝台がついていたと思いました。
221レさんのご投稿を受けて、私も少し調べてみました。
「みやざき」は昭和46年に急行格上げとなっており、昭和50年3月改正の際に、
その時廃止となった京都〜都城急行の愛称「日南」を引き継ぐ形で改称したようです。

で、普通列車時代の「みやざき」はスハネ30が連結されていた模様です。
しかし、ご指摘にあるように「快速」を名乗っていた点は驚きです。
定期の夜行普通列車が「快速」を名乗リ出したのは、
てっきり土讃線の221レ(50系)が最初だと思ってましたもんで。(^^;

>ながざきを急行にするには区間が短すぎたのでしょう。
その短い区間に8時間半以上もの時間をかけ、遅くまで寝台車が残されたのは
興味深いところですね。目的地の性格上、観光等の需要が結構あったのでしょうか・・・。

●AK1219さん
>33年11月号では小樽-釧路間(のちの「からまつ」)のみ
ご丁寧に復刻版を調べて頂き、有り難うございます。
なるほど。釧路夜行には結構早くから投入されていたわけですね。

>ちなみに、急行くずれも39年9月号で「大和」(関西線経由東京−湊町間)と
>分割併合する和歌山線経由王寺-和歌山市間の列車がある程度のようです。
地元民として「大和」は一度この目で見ておきたかったですぅ〜。
(年齢的に無理なんですが。^^;;)
特急「あすか」で有名な阪和貨物線を通らずに、和歌山線経由の普通列車として
和歌山入りしたノンビリ感がナイスな列車です。

>のちの「はやたま」「山陰」に相当する列車には2(1)等車は連結されて
>いますが、寝台車は連結されていないようです。
「はやたま」も「山陰」も、その昔は紀勢本線・山陰本線を全線走破する途轍もない鈍行でしたね。
ところでこれも後で見つけたのですが、種村直樹さんの『遥かなる汽車旅』(日本交通公社)によると、
昭和38年頃の山陰本線には京都〜門司の夜行鈍行(座席のみ)の他に、大阪〜浜田・大社間の
寝台車付き鈍行(ニ等級制の1等寝台車・スロネ30(<推定>とある)を含む)があったそうです。

>昔はかなり夜行急行が走っていましたから、寝台付き列車としては、やはり、
>そちらの方が一般的だったのではないでしょうか。
少なくとも戦後は、そう沢山の普通列車に連結されたわけではなさそうですね。

●車掌さん
>昭和42年10月時点では門司港−長崎・門司港−西鹿児島間の2往復で共に
>オハネ12を1両連結していたようです。
その当時から10系寝台車は普通列車にも充当されていたわけですか。
ただ、20系の車内設備との大きな格差を考えると、妥当な線かも知れません。

>昭和43年10月改正(いわゆるヨンサントオ)で5往復に増えまして
これで一応勢揃いという感じですか・・・。
皆さんの情報を総合すると、この中では「からまつ」が若干古くて、後は昭和40年前後に
大体足並みを揃えて(比較的遅くに)寝台車の連結を見るようになったと言えそうですね。

>それ以前の状況を調べると、後に「ながさき」となる門司港−長崎間の列車に
>寝台車が連結されたのは昭和39年4月からで、当時はスハネ30が連結され
>ていたという話も聞いたことがあります。
「みやざき」でも触れたスハネ30ですが、結構メジャーな存在ですね。
10系ハネとの設備的な違いは如何なるものだったのでしょうか・・・。
おそらく寝苦しい一夜ではないかと想像しますが。
(実体験された方って、いらっしゃいますでしょうか。(^^;)

>戦前までさかのぼりますと、ロネ(二等寝台車)はもちろんイネ(一等寝台車)
>まで連結されていた時代もあったようです。ただ、当時は急行列車等は特別な
>存在であって、各地に長距離夜行普通列車が多数存在していたようなので、
>この話題での寝台付き鈍行といえるかは?
「イネ」ですか・・・。
確かにそこまで行くと、比較的身近に感じる寝台付き鈍行の侘しいイメージから
だいぶ懸け離れてしまいますね。
ただ、戦前の大昔まで辿って「寝台付き普通列車はそれほどマイナーではなかった」
という事実に突き当たったとすれば、新鮮な発見となりそうです。
色々調べてみたいと思います。


投稿者 AK1219
投稿日 11月03日(水)14時20分04秒
タイトル 寝台付き客車列車(訂正・補足)
本文 先日の私の調査には見落としがありました。
大和路環状線さんの紹介された山陰線の列車がぬけてました。
これは31年11月号の時点で寝台車が連結されています。
運転区間は大阪−大社間ということでまさに今の「だいせん」の前身ですね。
39年9月号では大阪−浜田・大社間の列車となっており、
寝台車の連結区間は大阪−出雲市間となっています。
42年9月号の時点では、急行化され急行「おき」となっています。

この頃の寝台車の種別は複雑ですね。
車種を推測することは、私の乏しい知識ではとても不可能です。

以上訂正と補足でした。


投稿者 平松真一
投稿日 11月03日(水)23時32分05秒
タイトル 寝台付き普通列車
本文 はじめまして、平松といいます。
寝台付き普通列車の話題で盛りあがっているのを拝見してとても懐かしく思いました。
私は、「南紀」「からまつ」「山陰」にのりました。 SL撮影の方はよくお世話になったのでは。
残念ながらハネではありませんが。

参考までに、1983年4月1日「南紀」か「はやたま」の編成を。
ご存知でしたらごめんなさい。

寝台車は 天王寺ー新宮
             天王寺
  921レ        ↑  924レ
  客車は天リウ
  オハネフ122094     オハネフ122078 
  オハネフ122076     オハネフ122079 
  オハフ 332623     オハフ 332420
  オハ  472211     オハ  472420
  オハ  472149     オハ  46 380
  オハフ 332351     オハフ 332553
  スユニ 502060     スユニ50


 以上83年版 国鉄客車気動車 編制表  ジェーアールアール
「ながさき」「山陰」は眠くなりましたので別の機会にと思います。

南紀の画像は、いずれ私のホームページで掲載予定。
でも、寝台車切り離しのあとなのあまり参考にはならないかも。

では、これからもよろしく。
投稿者のホームページ



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